岡田彰布が「屈辱やった」と語る突然の代打宣告。中村勝広監督との関係は冷めきり「現役を辞めてからもほとんどしゃべらんかった」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「あれはもう、屈辱やった。全然、何も知らんかったから。はっきり言うて、開幕の時は『亀山って誰や?』と思うとったもん。二軍におったヤツは知らんから......。あの日は名古屋やったな。夜は宿舎で荒れたよ。そら、荒れんほうがおかしい」

 岡田への代打は、シーズン前半の試合のチャンスでは初だった。中村監督は岡田と話し合いを持ち「プライドもあるとは思うが、チームの勝利を優先する」と伝えていたというが、岡田自身、それが代打を意味するとは受け止めていなかった。試合後、監督は「最近の内容がひどいから代打を送った」とコメント。代打で凡退した亀山はすぐに岡田の元へ謝りに行ったという。

「亀山が謝りに来たって、そんなん、オレには関係ないからな。アイツが打てんかったって、オレに謝ることないわけやし。それで監督とは最初だけな、大学の先輩・後輩いうもんがあったけど、それから全然しゃべってないよ。現役を辞めてからもほとんどしゃべらんかった。会うてなかったし」

 岡田にとって中村監督は早稲田大の先輩だったが、ひとつの選手起用で関係性が変わった。そうして4月30日のヤクルト戦、岡田は先発メンバーから外れた。体に故障はなく、不振によるスタメン落ちはプロ2年目以降では極めて異例。中村監督は「昨日の状態を見て私が最終判断を下した」と言った。前日の岡田は3打席連続三振、24日から16打席連続無安打だった。

新戦力の台頭で代打要員に

 その後の岡田は5月に10試合以上、スタメンで出場するのだが、オマリーが同20日に右手骨折で離脱。代わりに出てきた若手の新庄剛志が活躍し、6月以降は岡田の出番が減少する。約1カ月でオマリーが復帰し、当初は内野の新庄が7月に入って外野の中堅に回ると、左翼のパチョレックが一塁に就き、一塁の岡田は代打要員となった。

「もう試合に出る機会も少なかったから、はっきり言うて、全然やる気なかった。オレのこと『リーダー』って書く新聞もあったけど、そんなん全然リーダーちゃうよ。試合に出てない選手はチームを引っ張っていけないし、外されたあとはのけもんやったから、92年は」

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る