岡田彰布が「屈辱やった」と語る突然の代打宣告。中村勝広監督との関係は冷めきり「現役を辞めてからもほとんどしゃべらんかった」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「リーダー」については、八木が証言している。「あの時は選手会長の和田(豊)さんがリーダーとして存在するチームに変わりましたね。岡田さんはほとんど代打で、試合に出てませんでしたし」と。

 では、「やる気」を失ってベンチに控えていたなか、6月に単独首位に立つなど快進撃するチームは岡田の目にどう映っていたのか。

「前の年、最下位やろ。その頃はまだ優勝争いするとは思ってないからな。ピッチャーも最初は全然ええと思わんかった。前の年、ボロボロやったから。オレら、打っても打っても点とられて勝てんかった。それでピッチングコーチの大石(清)さん、遠征でバスに乗ったらよう謝っとったよ。『野手の皆さん、すいませんでした。ピッチャー、もうちょっと頑張らせます』って。

 ピッチャーの責任者として謝っとったけど、そんなん、コーチの人が誰でも言えるもんちゃうからな。偉いよ、大石さん。遠征でもいつも昼前の11時ぐらいからシャドーピッチングとか、若手に練習やらせて。そういうの、オレら見とったからな。毎日の積み重ねでだんだんよくなったんやなと思う。でも、結局1年だけ......92年だけよかったというのはあるけども」

亀山と新庄を食事に誘うな

 大石コーチの指導に関して、投手のみならず、ベテラン野手の岡田も認めていた。ただ、その指導効果が1年限りの投手がほとんどだった、と岡田は強調する。実際、先発陣に限れば、翌93年も続けて結果を残したと言えるのは湯舟敏郎と中込伸だけだった。一方、亀山、新庄をはじめ、若手が伸びた野手陣をどう見ていたのか。

「あの"亀新フィーバー"か。なんかすごくブレイクしたようになってるけど、別にそこまで数字とか残してないやん。で、オレら選手には『食事に誘うな』って辞令が出とったんよ。フロントやコーチからな。まあ、オレは最初から誘う気もないけどな。歳が離れすぎてたから、かわいがるような感覚もなかったし。和田とか真弓(明信)は行っとったんちゃうかな。

 でも、辞令出てるけど、連れ出しとったんはコーチやもん。いつもそのふたりを指導しとったコーチがな。言うてるわりに、自分らがやっとんのやから。オレはそれ見たから『なんやねん、コイツら』と思うて。そういうおかしな点がいっぱいあった」

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