野村克也と落合博満が交流戦中に行なっていた極秘会談「なんでワシと話したがるんや?」「ノムさんしか野球をわかる人いないじゃない」
川崎憲次郎が語る「野村克也と落合博満」(前編)
1989年にプロ入りした川崎憲次郎氏は、2000年までヤクルトでプレーし、2001年にFA権を行使して中日に移籍した。ヤクルト在籍時は、野村克也監督のもと最多勝、沢村賞を獲得するなど黄金期のエースとしてチームを支えた。中日移籍後はケガで苦しんだが、落合博満監督就任1年目の2004年に開幕投手を務め、そしてこの年限りで現役を引退した。川崎氏は野村監督、落合監督の戦略と戦術を知る数少ない選手のひとりである。そんな川崎氏にふたりの共通点、相違点を語ってもらった。
1998年に野村克也監督(写真左)のもと最多勝、沢村賞を獲得した川崎憲次郎氏この記事に関連する写真を見る
守りの野球を目指した理由
以前、ある記者から聞いたのですが、野村さんが楽天の監督、落合さんが中日の監督をしていた頃、セ・パ交流戦の試合前はいつもナゴヤドームの監督室で会談が行なわれていたそうなんです。
中日のマネージャーから野村監督に「ご足労ですが、記者の目につかないように、私のあとをついてきていただけませんか」と連絡があり監督室へと向かうと、こんなやりとりがあったらしいです。
「おお落合、久しぶりやな。なんでいつもワシと話したがるんや?」
「だって、ノムさんしか野球をわかる人いないじゃない」
こうして野球談義に花を咲かせたらしいのですが、結論は「野球で勝つには投手力を中心とした守りだ」と。三冠王のふたりが言うのですから、間違いないと思います。
かつて野村監督は「なぜセンターラインが大事か?」の問いに、「そこに飛んだ打球はファウルがないからだ」と答えていました。それだけ守備範囲が広く、ポジショニングをとるにしても考えてプレーしないといけない。彼らのプレーが試合の行方を大きく左右するということでしょう。
野村さんがヤクルトの監督を務めていた時、キャッチャーに古田敦也、ショートに宮本慎也、センターに飯田哲也という、ゴールデンクラブ賞の常連がセンターラインを固めていました。それが功を奏したのか、野村監督時代のヤクルトは9年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成するなど黄金時代を築きました。
1 / 3