ケガと度重なる手術で「酒に逃げた」濱中治は、ファンからの寄せ書きに涙を流し改心。どん底から蘇って15年を闘い抜いた (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by SankeiVisual

2006年のキャリアハイで燃え尽きた

――ファンの方々からの熱いメッセージを受けて、そこから「改心」したんですか?

濱中 しましたね。「もう一度、ここからやり直そう」という思いで、必死にリハビリしました。翌2005年の開幕には間に合わなかったけれど、交流戦で復帰して、06年には守備にも就けるようになった。過去最高の打率.302、ホームラン20本も記録しました。支えてくれたファンの方、トレーナーのみなさんには感謝しかないです。

――2006年にキャリアハイを記録したものの、翌07年を最後にオリックス・バファローズへ移籍します。その後、肩の痛みはどうなったのですか?

濱中 そこから先はもう肩の痛みはまったくなくなりました。2006年くらいまでは、まだ疲れが溜まると痛みは出てきたけど、脱臼の不安は完全になくなりました。でも、その2006年に僕は完全燃焼してしまったのかもしれないですね。故障して、手術、リハビリを経てなんとか復活した。最初は打つだけだったけど、きちんと守れるようになってキャリアハイを記録した。その満足感が強かったのかな......。今となってみればそんな気がします。

――2008~10年はオリックス、そして11年からは東京ヤクルトスワローズに在籍したものの、この年限りで現役を引退します。15年間のプロ生活、744試合に出場して通算580安打、85本塁打という成績でした。ご自分では、この数字をどう評価しますか?

濱中 ホームランを100本打っているわけでもないですし、決して褒められた数字ではないですけど、あれだけのケガを乗り越えて、2006年にキャリアハイを残せたので、自分では「よくやったな」という思いはありますね。その後、オリックス、ヤクルトでもやらせてもらいましたが、2003年の時点で引退していてもおかしくなかったですから。

――「故障を乗り越えて、よく頑張ったな」と。

濱中 そうですね、「よく15年もやれたな」と思いますね。とにかくファンの方々への感謝しかない。そんな15年間でした。

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