ケガと度重なる手術で「酒に逃げた」濱中治は、ファンからの寄せ書きに涙を流し改心。どん底から蘇って15年を闘い抜いた
濱中治インタビュー
ケガと闘い続けた野球人生 後編
(前編:阪神「暗黒時代」からの脱却。野村克也に「頭を使う大切さ」、星野仙一に「闘う姿勢」を教わった>>)
野村克也、星野仙一両監督のもとで成長し、阪神の主力として活躍していた濱中治氏だったが、2003年の右肩のケガと度重なる手術で自暴自棄になってしまう。そんなどん底の状態から立ち上がることができた理由、キャリアハイをマークした2006年シーズン、大きなケガを経験したからこそ得たものなどについて聞いた。
右肩のケガから復活し、2006年にキャリアハイをマークした阪神時代の濱中氏この記事に関連する写真を見る***
自暴自棄だった自分を救ってくれたファンの存在
――2003年に右肩を負傷して最初の手術。そして、翌年にも再び故障して2度目の手術となりました。
濱中 最初の手術は2003年7月でした。この時は、なんとかシーズン終盤に間に合って日本シリーズに出ることもできたんです。それで「来年こそ万全の状態で臨むぞ」と思っていた04年なんですけど、シーズンが始まってすぐに右肩がパンパンに膨れ上がってきたんです。5月ぐらいでしたかね。それで、2度目の手術を行なうことを決めました。
――原因は何だったんですか?
濱中 肩を開いてみると、前年に行なった1度目の手術の時のボルトが外れてしまって、中でグシャグシャになっている状態でした。本来なら2時間の予定だったのに、ボルトを取り除く作業で6時間くらいかかって、さらに2カ月後にもう1度、手術をすることになったんです。
――合わせて、3度の手術に臨むことになったんですね。
濱中 はい。2度目の手術が終わって、「これで野球ができるぞ」と思っていたのに、翌日に病院の先生から「2カ月後に3度目の手術をするから」と言われました。「もう、このまま野球ができなくなるんじゃないか」と考えると、本当にショックで、しばらくの間は自暴自棄になりました。
――まったく練習に身が入らないとか、リハビリのモチベーションが上がらないとか?
濱中 こんなことは絶対にあってはいけないんですけど、練習をサボったり、お酒に逃げたりという生活でしたね。でも、久しぶりに鳴尾浜のファームに顔を出してみたら、ファンの方から寄せ書きを集めたアルバムを3冊いただいたんです。
――その寄せ書きにはどんなメッセージが書かれていたんですか?
濱中 「甲子園のライトで待っています」とか、「絶対に戻ってきてください」ということがたくさん書かれていました。それを見た時に、「これだけたくさんの人が応援してくれているのに、自分は何をしているんだろう」と涙が出てきて。お酒に逃げている自分自身に嫌気がさしました。
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