プロ野球選手としてもっともマスクを被った男・谷繁元信が「このボールは打てない」と断言する魔球5選

  • 水道博●文 text by Suido Hirohi
  • photo by Sankei Visual,Sportiva

92年にリリーフながら最優秀防御率のタイトルを獲得した盛田幸妃92年にリリーフながら最優秀防御率のタイトルを獲得した盛田幸妃この記事に関連する写真を見る

あの落合博満が本気で恐れた球

 1987年のドラフトで、長嶋一茂さん(立教大→ヤクルト)の外れ1位で大洋(現・横浜DeNA)に入団したのが盛田幸妃さんだ。盛田さんは函館大有斗高校時代に3度甲子園に出場しているが、1987年の夏は1回戦で敗退。同じ大会でPL学園のエースとして春夏連覇を達成した野村弘樹さんがその年の大洋3位指名だから、いかに盛田さんの能力を高く評価していたかがわかるだろう。

 僕は盛田さんの1年後輩で、強く印象に残っているのが1991年のシーズンだ。この年、盛田さんは中継ぎとして頭角を現し、26試合に登板した。この頃からシュートが強力になった印象で、とにかくキレが凄まじかった。とくに右打者にとっては、わかっていても打てない"魔球"だった。

 シュートを意識するあまり、外角のストレート、カーブ、スライダーで簡単にカウントを稼げたし、凡打に打ちとれた。

 当時、中日の主砲だった落合博満さんが打席に入る時に、「わかってるな」と必ずひと言口にした。要するに「シュートを投げさせるなよ」ということだ。あの落合さんをしても、盛田さんのシュートは恐怖心があったのだろう。盛田さんがマウンドの時は、捕手の僕に念を押して打席に入っていた(笑)。

 しかし僕らも若かったし、ふたりとも結果を出さないと次がない時代。困ったらシュートを多投していた。落合さんと盛田さんの通算対戦成績は50打数9安打で打率.180。あの落合さんが2割に届いていないのだから、よほど苦手意識を持っていたのだろう。

 翌92年は52試合に登板して14勝6敗2セーブ。中継ぎなのに131イニングを投げ、規定投球回に到達し、防御率2.05で最優秀防御率のタイトルを獲得した。

落差50センチのフォーク

 私のキャッチャー人生を語るうえで絶対に外せないひとりが佐々木主浩さんで、代名詞だった"フォーク"は今も強烈な印象として残っている。

 佐々木さんのフォークボールは4種類ある。ストライクゾーンの中で落ちるフォーク。ストライクゾーンからボールゾーンに落ちるフォーク。右打者の少し外に逃げながら落ちるフォーク。左打者の外に逃げていくフォークだ。

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