新庄剛志に始まり、今年の秋山翔吾も。NPBに復帰したメジャーリーグ日本人打者13人に共通して言えること (2ページ目)
史上初の両リーグGG賞受賞
近鉄の主砲だった中村紀洋も(現・中日ドラゴンズ二軍打撃コーチ)、2005年はロサンゼルス・ドジャースでプレーした復帰組だ。ただし、2004年11月に近鉄が消滅したため、ドジャース移籍が決まるまでの所属となっていたオリックスが復帰先。2006年はオリックスでプレーしたものの、ケガで不本意な成績に終わった。
年俸交渉で揉めて2007年1月に退団すると、育成選手として中日へ。開幕直前に支配枠契約を勝ち取り、サードのレギュラーとして存在感を発揮。日本シリーズではMVPに輝く活躍で、中日を53年ぶり2度目の日本一に導いた。その後は2009年から楽天、2011年から横浜・DeNAでプレーした。
ソフトバンクがまだダイエーだった頃、ドラフト1位でプロ野球人生をスタートした2選手も、MLBからの復帰先は古巣以外の球団を選んだ。
1997年ドラ1で、2005年からシカゴ・ホワイトソックスでMLBキャリアを歩んでいた井口資仁(現・千葉ロッテマリーンズ監督)は、2009年にフィラデルフィア・フィリーズからロッテに加入した。
復帰2年目の2010年は、リーグ3位からクライマックスシリーズでリーグ優勝のソフトバンクを下し、日本シリーズでも中日を破って「史上最大の下剋上」を達成したチームの中心として活躍。現役は2017年で引退したが、日本球界在籍期間はソフトバンクでの8年を超える9年だった。2018年からは監督としてロッテを指揮している。
もうひとりの城島健司も、2006年から4シーズンをシアトル・マリナーズで過ごすと、2010年に新天地として阪神を選択。1年目は全試合に出場して打率.303をマークし、捕手としてセ・リーグ最多安打を更新する。守備でも史上初めてセ・パ両リーグでのゴールデングラブ賞に輝くなど存在感を示した。
だが、シーズン終盤に痛めた左ひざのケガによって、翌年以降は苦しんだ。手術した左ひざに加え、右ひじや腰にも故障を併発し、2011年は38試合で打率.189、2012年も椎間板ヘルニアや肉離れによって24試合で打率.179と不本意な成績に終わった。契約を1年残しながら、「捕手としてプレーできないのなら」と任意引退の道を選び、ユニフォームに別れを告げた。
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