元ヤクルトのスカウトが今も忘れない逸材5人。高校1年時に「ひと目見て度肝を抜かれた」投手がいた
スカウトは毎年、何百人を超える選手をチェックし、チームに必要な逸材をリストアップし獲得に励む。そのなかには、獲得の有無に関わらず、「思い入れのある選手」が必ずいるはずだ。そこで元ヤクルトの矢野和哉氏にスカウト時代に印象に残った選手を5人挙げてもらった。
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超高校級の技術と思考
高塚信幸(智辯和歌山→近鉄7位)
ひと目見て度肝を抜かれたのが、智辯和歌山の高塚信幸投手です。最初に見た時は高校1年生でしたが、「こんなすごいボールを投げる高校生がいるのか」と衝撃を受けました。140キロを超えるストレートに縦のカーブ。とくに投手不利なカウントでも変化球でストライクをとれる技術と思考は、高校生の域をはるかに超えていました。
2年春のセンバツでは、準々決勝の国士舘高校戦で延長13回を完封するなど、さすがのピッチングを見せてくれましたが、決勝は4連投の疲れもあって鹿児島実業に6失点し敗れました。結局、この大会で高塚投手は712球を投げました。
その影響もあって、大会後に肩を壊し、夏の甲子園は登板なし。3年夏にチームは全国制覇を成し遂げましたが、高塚投手は初戦に登板して2回途中降板。その後、再びマウンドに上がることはありませんでした。
高塚投手は社会人入りが内定していましたが、近鉄がドラフト7位で指名。結局、プロ6年間で一軍登板なしに終わりました。もし肩を壊していなかったら、間違いなくドラフト1位で指名された逸材ですし、どれほどの投手になっていたんだろう......と、今でも思いますね。
「プロで活躍する」と確信した東都の逸材
阿部慎之助(中央大→巨人1位)
中央大時代の阿部慎之助捕手は、3年秋から東都リーグ1部に昇格しましたが、それまでは2部。その時に東京・世田谷区にある東農大グラウンドのライト場外にあるマンション4階のベランダにぶち込んだ打球を目の当たりにしました。
「2部だから打てた」と言う人もいましたが、バットのヘッドスピードが速くなければあそこまで飛ばせない。しかも出合い頭の一発ではなく、しっかりタイミングをとって、ヒジをたたんで、ボールをバットに乗せて打った本物の一発です。
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