斎藤佑樹、15歳のリアル「自分には隠れた才能がある」。地元の高校志望から早実へ進んだ心の揺れ (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 最近、不思議なことを考えるんです。もし僕が早実じゃなくて太田高校へ行っていたら今頃、どうなっていたのかなって......今年のセンバツ、太田高校は21世紀枠の関東地区の候補に挙がっていました。去年の春と夏は群馬県大会でベスト4、秋の大会は群馬県でベスト8まで勝ち進んで、創部以来初の甲子園を目指していました。

 生意気なことを言わせていただくと......当時、早実は10年間、甲子園に出ていなくて、僕が高3のときには甲子園に出たじゃないですか。太田高校も、僕が行っていたら甲子園に出られたんじゃないかって、当時はけっこう本気で思っていたんです(笑)。今となってはそんな簡単なことではないのはわかるんですけど。

 結果、太田高校は僕らの代、高3の夏に群馬県大会でベスト4まで行っているんです。甲子園に出たのは桐生第一だったんですけど、太田高校のベスト4ってすごくないですか。僕を東京へ快く送り出してくれたみんなが、地元に残って野球を頑張って、一度も出たことのなかった甲子園へあと2つというところまで勝ち進んだ......それってすごいことだと思います。

 もちろん、僕がいたら何かが変わって、そこまで勝ち進めなかったかもしれないし、甲子園へ行けていたかもしれない。でも僕は太田高校でも甲子園に出られた、そうなったらどういう人生を歩んでいたのかな、なんて考えたりしています。

 中学の時、僕が勧誘して3年間、誰ひとりやめることなく一緒に野球をやった10人の仲間とは今でもグループ LINEでつながっています。高校で野球を続けたのは8人かな。そのうち5人が太田高校でした。太田高校で甲子園に出るというのもインパクトあったのかなって......ちょっとどころか、かなり調子に乗ったことを言わせていただいちゃいました(笑)。

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 群馬から東京へ──15歳の斎藤は早実へ入学した。今まで馴染みのなかった東京での高校生活には不安もあった。それでも斎藤には揺らぐことのない自信があった。早実での3年間が始まった。

(第5回へつづく)

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