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斎藤佑樹、15歳のリアル「自分には隠れた才能がある」。地元の高校志望から早実へ進んだ心の揺れ (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 神宮で観ていて、早稲田のユニフォーム、めちゃくちゃカッコいいじゃん、とテンションが爆上がりです。あの早慶戦が、早実へ行きたいという気持ちを確かなものにしてくれたような気がします。

 早実の入試は内申点と面接、論文でした。早実の試験を受ける前に、じつは何人かの選手と会う機会がありました。そのなかに白川(英聖/高3の夏はキャッチャー)、小柳(竜巳/高3の夏はサード)がいました。白川は三鷹ビッグボーイズ、小柳は城西シニアで、ふたりとも東京です。僕だけ群馬から通っていたんですけど、3人で連絡先を交換して頑張ろうと励まし合いました。

 試験当日、論文は「テレビが誕生して50年、そのことについて論じなさい」という課題でした。決められた文字数いっぱい、ギリギリまで書いた記憶があります。テレビができたことによって世の中にいろいろな進化があったことは間違いない。でもリアルで人と会ったりすることの必要性が軽んじられてきたのではないか、みたいな内容を書いたと思います。

 テレビのありがたみは感じるけど、そうじゃないブラウン管を通さない情報、実際に見て、聞いて得た情報の大切さを感じています、と......あの時、課題をもらってすぐに考えたのは、みんな、テレビができて便利になったというようなことを書くんだろうな、だったらそうじゃないことを書こう、ということでした。どうすればインパクトを与えられるか......そんなことを考える15歳でしたね。あ、でも、そういうところは33歳になった今も変わらないか(笑)。

もし太田高校に行っていたら...

 合格発表は父と母と一緒に早実まで見に行きました。3人で国分寺の駅から学校へ歩いて向かう途中、合格発表を見終わった小柳の家族と会っちゃったんです。そうしたら小柳、「斎藤の番号、あったよ」って(苦笑)。すごくうれしかったけど、合格の感動がちょっと薄れたっていうか、おいおい、先に言うなよ、みたいな......でも、気がラクになったところもあって、きちんと番号を確認しに行きました。たくさん並んでいるなかに自分の番号を見つけたときは、やっぱりうれしかったですね。

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