斎藤佑樹、15歳のリアル「自分には隠れた才能がある」。地元の高校志望から早実へ進んだ心の揺れ (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 ところが関東大会が終わって、父と母から和泉監督が僕の試合を観に来てくれていたこと、早実という選択肢もあることを聞かされました。想像もしないところからいきなり早稲田へ行くチャンスがきた。そんな気持ちだったことを覚えています。

 ただ早実は「来てほしい」ではなく、「受けたらどうですか」という感じでした。それでも僕にとっては次元を超えた、遥か彼方から飛び込んできたようなワクワクする話でした。

 その時の僕は『これはみんなと違うところへ行けるかもしれないチャンスだ』と思いました。中学の頃って、自分の可能性を見出したい時期だと思うんです。自分はほかの人とは違うんだ、ということをどこかで妄想していましたが、それを実際に感じさせられたのが、早実から声をかけていただいた時だったんです。

 僕は基本的にナルシストなんで(笑)、小さい頃から『自分には隠れた才能がある』と勝手に感じていて......だから早実という可能性が目の前に現れた時、僕は『あ、これは甲子園に行ける』と思ったんです。よっぽど自分の可能性を信じていたんでしょうね。

早実進学は最高の選択肢

 当時の早実はずいぶん夏の甲子園から遠ざかっていましたし、周りの人からも『東京を勝ち抜けない早実より、群馬の強豪校へ行ったほうが甲子園へ行ける確率は高いのに』とずいぶん言われました。

 それでも僕にとっては、甲子園も狙える、勉強もできて大学へも行ける、ほかの人と違う可能性を追い求めることもできる......いろんな意味で早実への進学は最高の選択肢でした。もともと父に言われてずっと文武両道を意識してきましたし、早実へ行けば早大へ進める可能性は高くなります。中学の仲間たちと『このメンバーで太田高校へ行って甲子園』という気持ちもありましたが、『僕はみんなと違う道を行くんだ』的な(笑)、冒険心のほうが強かったんだと思います。

 最後の決断を下す前、父に連れられて神宮球場へ秋の早慶戦を観に行きました。鳥谷さん、青木さんが4年生で、早大野球部史上初の10戦全勝、リーグ4連覇を成し遂げた2003年の秋のことです。中学3年だった僕にとって、甲子園出場とかプロ野球選手とか、そういう子どものときからの夢の中に、途中から割り込んできて、もっともリアルに感じられた夢が、神宮でプレーすることでした。だからあの早慶戦はものすごくインパクトがありましたね。

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