澤井良輔の人生を一変させたセンバツ・PL学園戦での一発「僕は運がよかっただけなんです」 (3ページ目)
センバツ後に環境が一変
しかし、周りがそれを許さなかった。
本当は、福留とは親友と呼べるような仲にまで発展しなかった。ジャパンではチームメイトとして話をすることは多かったが、松本や吉年のほうが、一般の高校生のような友人関係を築けたと思っている。それなのに世間は、「ライバル」「親友」とふたりの間柄を明確にしたがった。
福留との関係以上に澤井が戸惑ったのは日常だった。センバツが終わり地元に帰ると、自分を取り巻く環境が激変していた。
グラウンドでは、今まで聞くことがなかった女性ファンの黄色い声が飛び交う。高校野球専門誌の表紙を飾り、連日のように取材された。端正な顔立ちも相まって、澤井は高校野球界の「アイドル」となっていた。
「10代の子どもが大人たちに気を遣われるんですよ。そりゃあ、天狗にもなりますよね。ファンレターだってものすごく来たし」
数を聞いてみると、澤井が左手の指を広げた。500? 首を横に振る。
「5000通。そういうレベルの騒ぎでしたから。だから、カッコつけたり、ちょっと違う方向に進んだ時期もありましたよね。ほかの選手は面白くなかったと思いますよ。自分が活躍しても僕しか取り上げられないから、『また澤井かよ』みたいになるじゃないですか。そういうところで、ちょっとチームと距離が生まれたところはありましたね」
澤井が心底辟易したのが、夏の千葉大会初戦に勝利したあとの囲み取材だった。ホームランを打ったため、そのことを聞かれるのはいい。だが、質問の大半は、西で豪打を連発するあの男についてだった。
「福留くんもホームランを打ちましたけど、そのことについてどう思いますか?」
はぁ......少し戸惑った表情をつくったものの、内心では「なに聞いてんだよ。俺に聞くなら、孝介にも俺のことを聞いて、そのことをまず言ってくれよ」と悪態をついていた。
次の試合からは、顔見知りの記者がいると「自分、あんま打ってないんで、ほかの選手に話を聞いてあげてください」とうながし、要領よく取材攻勢を回避していた。それらも、「勝ち進むにつれ、そんなことを気にしている場合じゃなくなった」という。
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