球界最年長の福留孝介に澤井良輔は「サラリーマンだって大変なんだぞ!」って胸を張って言いたい

  • 田口元義●文・写真 text. & photo by Taguchi Genki

澤井良輔インタビュー(後編)

前編:澤井良輔の人生を一変させた1本の本塁打はこちら>>

「まあ、あんな打ち方をしていたから、プロで結果を残せなかったんですよ」

 澤井良輔が自嘲する。そんなことないですよと向けても、「いや本当に、本当にそう思いますよ」と語調を強め、念を押す。

 それは、銚子商時代のバッティングを指していた。その後の野球人生を大きく変えることとなる1995年センバツでのPL学園戦でのホームランですら、澤井から言わせれば「あんな打ち方」だというのだ。

2010年から外資系生命保険会社に勤務している澤井良輔2010年から外資系生命保険会社に勤務している澤井良輔この記事に関連する写真を見る

外れ1位でロッテに入団

 とはいえ、当時はあの豪快な一発から澤井の株は下落しなかった。95年のドラフト会議。高校生最多の7球団から1位指名されたライバル、PL学園・福留孝介の抽選を外したヤクルトとロッテから"外れ1位"で指名を受け、後者が交渉権を獲得した。地元出身、甲子園のアイドル......澤井のロッテ入団は、スター街道への啓示のようでもあった。

 高校通算23本塁打。高校野球引退後は、金属から木製バットに変えて準備を重ねた。自信はあった。1年目の春季キャンプは二軍スタートだったが、一軍の選手とともに宿舎の中庭で素振りをしている際に、一軍打撃コーチの山本功児から「頑張っておけよ」と声をかけられ、期待されているとも感じていた。

「プロでもやれる」

 それが、浅はかな高邁なプライドであったと自覚するのに時間はかからなかった。

 なにせ、バットにボールが当たらないのである。プロのそれは、二軍であっても高校生の比ではない。上段から振り下ろすスイングだった澤井には、まるで対応できなかった。

「僕らの時代って、『上から叩きつけるようにバットを振れ』って教わっていた。カーブもスライダーも、変化球は物理上、落ちてくるわけで、そのスイングだとミートポイントがほとんどないわけです。今だと大谷翔平くんみたいに下から上へってバットの軌道が主流になっていますけど、それって理に適っているわけですよ。だから、上から振り下ろしても当たらない。当たっても先っぽばっかりでバットが折りまくったりね。『これじゃぁ、やっていけねぇな』って」

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