球界最年長の福留孝介に澤井良輔は「サラリーマンだって大変なんだぞ!」って胸を張って言いたい (3ページ目)

  • 田口元義●文・写真 text. & photo by Taguchi Genki

福浦和也との決定的な違い

 山本が二軍監督となってからは、毎月ノルマを課せられた。到達できなければ怒られ、マンツーマンでの練習の日々。山本自身が促し、野手に転向したての福浦和也と競争させるように澤井は尻を叩かれ続けた。

 ある日の練習でのことだった。澤井は福浦との決定的な違いに気づかされた。

 試合で結果が出ず不貞腐れていたなか打撃練習をしていると、山本から鬼の形相で「その態度はなんや!」と激怒された。

「周りを見てみぃ! なんでおまえがボール拾わんで、スタッフがやってんねん。選手ひとりのためにどれだけの人間が動いてくれているか考えろ。お前にはそういう感謝の気持ちが足りない。そこが和也との大きな違いなんや」

 褒められるより、怒られるほうが多かったというが、澤井は自分をかまってくれる山本についていき、試合では起用され続けた。3年目には一軍デビューを飾り、二軍でも初めて規定打席に到達。しかし、2割6分8厘、5本塁打、37打点とチームを納得させられるだけの成績を残せたわけではなかった。

 それでも、不貞腐れるようなことはなくなった。澤井は変わった。

「功児さんが二軍監督だった2年間で、いろんなものが変わったと思います」

ライバル関係が再燃

 1999年に山本が一軍監督となると、澤井も声をかけられる機会が少しずつ増えた。この年と言えば、4年前のドラフト会議で交渉権を獲得した近鉄への入団を拒否し、社会人へ進んだ福留がプロ入り。中日のドラフト1位ルーキーとして早くも頭角を現した。

 高校時代のライバル関係が再燃する。「またかよ」とうんざりする。二軍と一軍、互いの現在地を比較されると腹が立った。

「プロに入ってからのほうが嫌でしたね。高校時代は銚子商業のレギュラーって居場所があったけど、ロッテではそれを掴むために頑張っていたわけじゃないですか。『もう関係ねぇじゃん』って思ってましたよ」

 その後も二軍でくすぶっている自分に対し、福留は一流選手への階段を着実に駆け上がっていた。

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