球界最年長の福留孝介に澤井良輔は「サラリーマンだって大変なんだぞ!」って胸を張って言いたい (4ページ目)
ある年、オープン戦で福留と再会し、同世代の荒木雅博と3人で話していると、駆け寄ってくる者すべてが中日不動のレギュラーであるふたりに声をかける。澤井も「頑張れよ」と激励されたが、それがかえって両者の差の大きさを突きつけられたようで、悔しかった。
プロでの立場は、そのまま変わらなかった。
2005年、チームが日本一の歓喜に沸く陰で澤井は戦力外を受け、ひっそりと引退した。
プロ10年間で一軍での出場は90試合。打率2割2分5厘、6本塁打、19打点。「やれる」と自信に溢れていた青年のプロ野球人生は、右ヒジの手術や右肩の故障などケガにも泣かされてきた。不完全燃焼だったのかもしれないが、澤井は「ロッテでよかった」と、迷わず自らの歩みを肯定した。
「功児さんだったり、いい出会いに恵まれたのが大きいかな。ケガがあったり、活躍もできなかったなかで、ロッテじゃなかったら10年もプレーさせてもらえなかったですよ」
比較されることが嫌だった
引退後は千葉のクラブチーム、BCリーグの群馬でコーチを務めた。そこでの人との出会いが縁で、2010年から外資系生命保険会社に就職し、営業として北関東を中心に奔走する。プロ野球で学んだ人への感謝、謙虚な姿勢で年々顧客を増やし、営業所の所長に昇進するチャンスもあったというが、「こっちのほうが向いているんで」と、今も現場で汗を流す。
サラリーマンとして13年目の44歳。プロ野球選手時代にともにプレーしていた仲間も、ほとんどがユニフォームを脱いだ。
そんななか、かつてのライバルは今も球界最年長選手としてプレーしている。
「今の仕事に就いたあたりかな? 野球と折り合いをつけられるようになって、素直に孝介を応援できるようになりましたね。僕らの世代で唯一の生き残りですから、1年でも長く。代打だったらあと5年はやれるでしょ」
人の見方によっては、福留に翻弄された野球人生だったのかもしれない。だから最後、澤井本人に確認した。
── 福留孝介という存在は「刺激」でしたか、それとも「呪縛」でしたか?
少しの沈黙ののち、澤井が口を開く。
「野球をしている間は、比較されるのが嫌だったかな。でも、今は刺激かもしれない。もしこの先、孝介と会うことがあれば『今はこんな仕事してるんだよね』って胸を張って言いたいし、言えると思う。孝介にも苦労があるだろうけど、『サラリーマンだって大変なんだぞ!』って話せるだろうからね」
(おわり)
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