2022.03.04

ホークス12年ぶりの最下位がドラフト指名の追い風に。攝津正は26歳でプロ入り、4億円プレーヤーとなった

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

連載『なんで私がプロ野球選手に⁉』
第7回 攝津正・後編

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 異色の経歴を辿った野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第7回後編は、のちに沢村賞投手に上り詰める攝津正(元ソフトバンク)の社会人チーム生活8年目からスタートする。

2012年に17勝をマークし、沢村賞に輝いた攝津正2012年に17勝をマークし、沢村賞に輝いた攝津正 この記事に関連する写真を見る  そのスカウトは、毎回のようにJR東日本東北の試合に現れた。いつしか攝津正は、スカウトと挨拶を交わすようになっていた。

「あ、作山さん、こんにちは」

「おう、エース、元気か?」

 スカウトと選手の間で技術指導や交渉事を交わすことは禁じられているため、ごく短いあいさつしかできない。それでも、攝津はソフトバンクの東北・北海道地区担当スカウトの作山和英(現・アマスカウトチーフ補佐)を「いつもいるな」と認識していた。

 作山からすれば、攝津のことは高校2年時から追い続けている選手だった。なかばNPBスカウト陣から無視されたかのようだった攝津だが、作山は意外な言葉を口にした。

「全球団、全スカウトが攝津というピッチャーの存在を知っていたはずです。何度も都市対抗に出ている大黒柱ですし、東北担当なら一度は上司に見せているはず。私も攝津のことはずっと(指名候補の)リストに載せていましたから」

なぜ8年間指名がなかったのか

 それでは、なぜ攝津はドラフト会議で指名されずにいたのか。作山はこんな見方をしている。

「攝津は今日も投げて、明日も投げる......と大車輪で投げていたので、次の登板を見据えて平均球速を落として投げていました。それが上司には『球速が物足りない』と映ってしまうんです」

 いくら作山が評価しようが、指名の権限がある上司が認めてくれなければ獲得はできない。攝津が大活躍した2007年も作山はリストに名前を入れたが、球団が攝津をドラフト指名することはなかった。

 作山にとって2008年は、攝津を初めて見た日から10年目のシーズンだった。他球団のスカウトのなかには、「いつまでリストに残しているの?」という目で作山を見る者もいた。だが、作山のなかで「攝津ほど完成度の高いピッチャーはいない」という評価が揺らぐ日はなかった。