ホークス12年ぶりの最下位がドラフト指名の追い風に。攝津正は26歳でプロ入り、4億円プレーヤーとなった

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

「勝負どころに強く、ピッチャーとして必要なものを持っている。何度もいいところを見ているし、プロで挑戦させてやりたいと思っていました」

転機はホークス12年ぶりの最下位

 そして、ついに攝津に神風が吹く。王貞治監督の最終年となった2008年、ソフトバンクはチーム防御率4.42と投手陣が崩壊し12年ぶりの最下位に転落した。現場からは「即戦力リリーフがほしい」という要望が伝えられた。

 作山はここぞとばかりに「攝津がいますよ」と猛プッシュする。

「話は早かったですよ。上司にはとっくに見てもらえていましたし、『たしかに攝津は即戦力だね』と認めてもらえていたので」

 懸案の球速についても、作山は自信たっぷりに「大丈夫です」と上司に報告している。前年秋に攝津が大活躍したワールドカップで、耳寄りな情報を得ていたからだ。

「関係者から『140キロ後半が出ていたよ』と聞いたんです。短いイニングならスピードは出るんじゃないかと予測していたので、『やっぱりな』と思いました」

 だが、確実に攝津が獲得できる保障はなかった。ほかにも脂の乗った攝津を狙う球団があったからだ。作山はとくに楽天と日本ハムを警戒していた。

「楽天の当時の担当は上岡(良一)さんで、私の大学時代の先輩でした。上岡さんは攝津を高く買っていたので、獲得するには楽天がポイントになるだろうと。でも、上岡さんが上司を連れてきた試合で、たまたま攝津が打たれてしまった。これで楽天の線はなくなったと思いました」

 日本ハムのスカウト陣が視察した日も、攝津の状態は悪かったという。最終的に攝津に調査書の提出を求めたのはソフトバンク、日本ハム、横浜(現・DeNA)の3球団。攝津は「どうせ別にかからないだろう」と思いながら、調査書に記入したという。

 2008年10月30日、ドラフト会議は東京・品川プリンスホテルで開かれた。攝津はいつものように、グラウンドで練習していた。

 練習を終え、寮の部屋に戻るとチームメイトから「かかったよ」と言われた。攝津は思いがけない言葉に絶句した。ソフトバンクが攝津を5位で指名したのだ。

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