ホークス12年ぶりの最下位がドラフト指名の追い風に。攝津正は26歳でプロ入り、4億円プレーヤーとなった

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

「プロに入ってから毎月25日の給料日がうれしくて、銀行で記帳するのが楽しかったですね。金額を見るたびに『すげぇ!』って。社会人では最初は手取り10万円くらいでしたから。でも、だんだん喜びがそこじゃなくなっていくんです。もっとうまくなりたい、技術を極めたい......という方向に没頭する。入ってくるお金も自分の体のためにどんどん使っていました」

大金を手にしても国産の庶民車

 2018年には現役を引退。10年間のプロ生活だったが、通算282登板で79勝49敗、73ホールド、防御率2.98。最優秀中継ぎ投手と沢村賞を受賞した投手など、攝津のほかにはいない。記録にも記憶にも残る投手になった。

 スカウトの作山は「攝津には感謝しかない」と語った。

「あそこまで活躍するとは予想できませんでしたが、間違いなく仕事はしてくれると思っていました。沢村賞を獲ってくれる担当選手なんて、そうそう巡り会えません。もし他球団で活躍していたら、『もっと推せばよかった』と後悔したはずです」

 2019年の正月に攝津から作山に年賀状が届いた。そこには「プロに入れていただいて、幸せな野球人生を送れました。ありがとうございました」というメッセージが添えられていた。作山は攝津の温かみのある人柄に胸を打たれた。

「プロで稼いで人が変わってしまう例も見てきましたが、攝津はいくら稼いでも変わらない。そんな選手と出会えて、僕は幸せでした」

 JR東日本東北時代の恩人たちも一様に攝津の想像を超える成功に驚き、そして変わらない人柄を誇りに感じている。元監督の阿部圭二は、かつての教え子についてうれしそうに語った。

「東北人特有のポツリ、ポツリと話す感じは昔のままですよ。外車に乗るプロ野球選手も多いなか、攝津は国産の庶民的な車で。そこが彼のいいところなんでしょうね」

 同僚だった福家大は現在、JR東日本東北で投手コーチを務めている。同じ釜の飯を食べた者として、攝津が誇らしくて仕方がないという。

「今でも『攝津と一緒にやっていたの?』と聞かれますし、あいつと同じチームでプレーできたことは一生の自慢です」

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