ホークス12年ぶりの最下位がドラフト指名の追い風に。攝津正は26歳でプロ入り、4億円プレーヤーとなった

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

 驚き、戸惑い、喜び。さまざまな感情が渦巻いたが、もっとも攝津の内面を占めたのは「ここで?」という思いだった。

「2007年以前からずっと数字は残していましたし、変えたことは何もありません。自分には違いがわからないので、『ここでか!』という思いは強かったです」

次々とタイトルを獲得

 すでに26歳になっており、プロ1年目には27歳を迎える。JRという大企業で安定した生活を手にしており、プロへの扉が開かれたといっても「どうしよう?」という迷いもあった。悩んだ末に、攝津はソフトバンクと契約を交わす。

 入団前のメディカルチェックで攝津は意外な事実を知らされる。関係者から「この肩、大丈夫?」と言われるほど、肩のコンディションが悪かったのだ。JR東日本東北のエースとして投げ続けた代償は大きかった。

 とはいえ、手術が必要なほど深刻な状態ではなく、攝津は新人合同自主トレ期間中に肩のケアとトレーニングに取り組んだ。その成果もあり、春季キャンプは万全の状態で臨めたという。そして、攝津は自身のボールに目を見張った。明らかに社会人時代よりもボールが走っていたのだ。

「社会人でも全力で投げていたつもりでしたけど、コンディション的にベストではなかったのでしょうね。プロで正しい知識を教わって、少しでもよくなるよう取り組んだら球が速くなっていました」

 作山が見込んだとおり、常時140キロ台後半の球速が出るようになっていた。攝津は見事に1年目からセットアッパーに定着。ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩との勝ちパターンの投手リレーは「SBM」と呼ばれた。

 1年目は34ホールド、2年目は38ホールドを挙げて2年連続で最優秀中継ぎ投手を受賞。3年目からは先発に転向し、5年連続で2ケタ勝利。17勝を挙げた2012年は最多勝利と最高勝率に加えて沢村賞を受賞した。プロ6年目のオフには年俸が球界最速の4億円に到達。社会人時代に「引退する頃かな」と考えていた、32歳で手にした大金だった。

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