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広澤克実が比較した名将3人。野村克也、長嶋茂雄、星野仙一のなかでコメント力が「群を抜いていた」人物は? (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

 次に「長嶋さんには、プロとは何かを教わった」と広澤は述懐する。「今日のお客さんは喜んでくれたかな。入場チケットの2倍の価値はあったかな」と、いつもファンの反応を気にかけていたという。

 だから、ヒーローインタビューで「いい仕事ができました」と言う選手に違和感を覚えていたそうだ。たしかに、プロ野球は自らがお金を稼ぐ仕事(ビジネス)ではあるが、「ファンがまた試合を見に来たい」と思ってくれることが大事であると、長嶋は常々語っていた。当然、広澤も大きな影響を受けた。

「自分が笑顔になるためにプレーするのがアマチュア。まわりを笑顔にするためにプレーするのがプロであり、報酬をいただけるという考えになりました」

 そして星野には言葉の力、コメント力を学んだ。野村や長嶋もコメントには定評があったが、星野は群を抜いていたと広澤は語る。

「アクセントあふれる言葉づかいのうまさは、野村さんや長嶋さんでも真似できない。あれは選手のモチベーションを上げる巧みな話術でした」

 阪神の星野監督が誕生した2002年のこと。長く暗黒時代が続いていたチームは、リードされていれば「そのまま負けるだろう」、勝っていても「逆転されるだろう」という空気が蔓延していた。

 そんななか、ある日の試合後の緊急ミーティング。星野の口調は驚くほど強かった。

「オレには情がある。だが、非情もあるんだ。おまえら......覚悟しておけよ!」

 その言葉に選手たちは刺激を受けた。あまり感情を出さない今岡誠が、ヒットを放てばガッツポーズを繰り返し、翌年に首位打者を獲得。投手では井川慶が闘志あふれる投球で、同じく2003年に20勝を挙げて最多勝。チームも1985年以来となる18年ぶりのリーグ優勝を遂げたのである。

【ID野球とカンピューター】

 野村は現役時代、三冠王を獲得するなど「打てる捕手」としても名を馳せたが、指揮官となってからは投手力を中心とした守り勝つ野球を標榜し、データ重視の「ID野球」を推進した。

 広澤は「なくて七癖と言うけれど、ある投手がカウント0ボール2ストライクになると投げてくる球種のクセとか、一塁への牽制は何球まで投げ続けるとか......そうしたものをベンチで探っていました」と語る。

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