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五十嵐亮太のボールにみんなが振り遅れていた。ヤクルト1年目に大雨の中で達成した「完全試合」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【名伯楽・小谷正勝コーチとの出会い】

――担当スカウトの方からはどんなアドバイスがあったんですか?

八重樫 最初に聞いたのが「彼はまだ変化球を投げられませんよ」ということでした。ストレートはめっぽう速いけれど、プロで通用するような変化球はまだ投げられない。「その代わり、ボールの重さは群を抜いている」とも聞いていました。実際、ブルペンで投げているところを見ても、本当に重そうなボールを投げていましたね。

――完全に「素材型」として、ボールのスピード、重さといったポテンシャルの高さを評価された上でのプロ入りだったんですね。

八重樫 間違いなくそうでした。だから1年目に関しては夏場までは変化球を投げさせず、体を作りながらひたすらストレートを磨いていたような印象があります。実際に、夏場からようやくカーブを投げ始めていましたね。その点でも、岩村とは正反対で「じっくり育てよう」という意識でした。

――夏になってようやく、カーブの練習を始めたんですね。当時の二軍投手コーチは、名伯楽として名高い小谷正勝さんでしたね。

八重樫 そう。小谷さんと相談しながら、亮太の指導方針を決めていました。夏場になって、小谷さんから「これから亮太にカーブを投げさせます」と言われて。この頃、僕も一緒にブルペンで見ていたんだけど、はじめのうちは回転を確かめるようにして、一球、一球じっくりと投げていました。指にかかったときには緩いけれど、いい曲がりをしていましたよ。

――当初は指先の感覚やボールの回転を確かめながらの試運転だったんですね。

八重樫 高校を出たばかりの19歳だし、ストレートは光るものを持っていたから「焦る必要もないし、じっくりと育てよう」というのは、球団全体にあった考えだったと思いますよ。そうしているうちに、また小谷さんから「そろそろ亮太を試合で投げさせてみたい」と言われて、8月を過ぎた頃から短いイニングを投げさせるようになったんです。

――1年目のファームの成績を見ると、10試合に登板して3勝4敗、44回2/3を投げて30奪三振、防御率は3.63という成績が残っています。

八重樫 これも小谷さんと相談しながらの起用でした。この年、ヤクルトのファームはイースタンリーグで優勝するんだけど、胴上げ投手になったのは亮太でしたね。

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