五十嵐亮太のボールにみんなが振り遅れていた。ヤクルト1年目に大雨の中で達成した「完全試合」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【無邪気に「あっ、古田さんだ!」と叫んだ五十嵐亮太】

――前回までの岩村明憲さんに続いて、今回からはやはり八重樫さんが二軍監督時代に接していた元ヤクルトの五十嵐亮太さんについて伺いたいと思います。五十嵐さんが千葉・敬愛学園高校から、ドラフト2位でヤクルトに入団したのは1997(平成9)年のことでした。

八重樫 僕が二軍監督になった年に入団してきたのが、前回までお話した岩村明憲で、翌年に入団してきたのが亮太でした。彼に関して忘れられないのは、入団契約を済ませた新人たちが神宮球場やクラブハウスなどの施設見学をした時のことなんです。

ヤクルト新人時代からストレートに力があった五十嵐ヤクルト新人時代からストレートに力があった五十嵐この記事に関連する写真を見る――関係各所にあいさつをしつつ、施設見学をする一連の恒例行事の際の出来事ですね。

八重樫 そう。神宮での用事を済ませて、埼玉の戸田にある選手寮に向かうバスの中で、たまたまクラブハウスに来ていた古田(敦也)の姿を亮太が見つけたらしいんです。その時に彼が、大きな声で「あっ、古田さんだ!」と興奮して叫んだそうなんですよ。単なるファンのようなはしゃぎ方(笑)。僕はその現場にはいなくて、後でその話を聞いたんだけど、今から思えばいかにも亮太らしいエピソードですよね。

――どういう点が、「亮太らしい」んですか?

八重樫 このエピソードひとつとってみても、明るい性格で、純粋じゃないですか。この時は「お前もこれからプロの世界に入って、古田と一緒にプレーしていくんだから、そんな気持ちじゃダメだぞ」とたしなめられたそうだけど、素直で真っ直ぐな性格だということがよく伝わってきますよね。そんな新人はなかなかいません。

――ドラフト2位でのプロ入りでしたけど、入団当時の五十嵐さんの実力やポテンシャルはどのように見ていましたか?

八重樫 前回お話したように、当時のヤクルトには「高卒ルーキーは1年間はみっちりと体を作ってから、実戦練習をする」という方針がありました。岩村の場合は素質に満ちあふれていたので、その方針を無視して特例で試合に使い続けましたが、亮太は方針通りに「じっくり育てよう」という印象でしたね。スカウトからも、そういうアドバイスをもらっていましたから。

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