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【独占インタビュー】斎藤佑樹が悔やむあの夏「投げ方が狂って、歯車がズレ始めていた」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Koike Yoshihiro

── ならば、あえて振り返ってもらうとしたら、ここまでの野球人生、悔いのようなものはあったりしますか。

「それは、いっぱいありすぎて」

── いっぱい?

「そのいっぱいは、大きいのがいっぱいじゃなくて、本当に細かい、小さなことがいっぱい、という感じなので......これが、というのを挙げるのは難しいですね」

── ボタンを掛け違えてズレちゃったな、みたいな感覚はあるんですか。

「そうですね......まぁ、ありますね」

── それは、どこでしょう?

「高校3年生の夏の甲子園をスタート地点とするならば、最初にズレたのは、甲子園が終わって行ったアメリカ遠征かな。あの時、技術的な感覚がズレてしまった気はしています」

── 技術的な感覚?

「夏の甲子園の僕は、変化球はほとんどがスライダーでした。フォークはたまに投げるくらいだったのに、アメリカではフォークばっかり投げたんです。それは、フォークの調子がものすごくよかったからでした。甲子園のマウンドはすごく軟らかいのに、アメリカのマウンドって土が硬いじゃないですか。その硬いマウンドに適した投げ方をすると、フォークがやたらと落ちてくれるんです。それで、フォークの味を覚えてしまって......でも、いま思えば、それが落とし穴でした」

── その時、何が狂ったんですか。

「僕のなかでは『調子いいじゃん』って感じだったんですよ。新しい自分を見つけた......くらいに思って喜んでいました。甲子園ではストレートとスライダーだけで勝った。でもアメリカでさらにフォークを覚えた。大学からプロに行くためには新しい変化球を増やさなくちゃいけないと思っていましたから、すごくうれしかったんです。でも、じつはあれでリズムが変わって、投げ方が狂って、歯車がズレ始めていたのかなと、最近、思うようになりました」

── 最近というのはいつ頃ですか。

「この2、3年かな。この2、3年でトラックマンが出てきて、いろんなデータを見ることができるようになった時、僕の得意球は何だろうというふうな視点で見てみたんです。そうしたら、フォークの回転数とか回転軸がすごくいい。ああ、僕ってフォークがいいんだと思って投げていたら、いい数字が出たときって、肩に負担がかかっている感じがあったんです。そういえば......と思い返してみたら、高校のアメリカ遠征でフォークを落としにいくためにそういう投げ方をして、実際にすごく落ちていた時って、肩やヒジにものすごく負担のかかる投げ方をしていたんですよね。トラックマンのデータがなかったら気づかなかったことかもしれませんけど、あれはいっぱいあった小さいことの最初だったのかもしれません」

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