野村克也が「日本一のスコアラー」と絶賛。「犬猿の仲」安田猛を認めていた (3ページ目)
【4歳年上なのに、決して威張らず「同級生」のような人だった】
――そして今年の2月20日、突然の訃報が舞い込みました。一報を聞いて、八重樫さんはどんな思いになりましたか?
八重樫 ずっと前に「余命わずか」と聞いていて、「あと2カ月くらい」という話もありました。そういう意味では、余命宣告を受けてからもずっと安田さんは頑張って生きてこられました。最初に訃報を聞いた時には、「よくここまで頑張ってきましたね。お疲れさまでした」という思いでしたね。
――年齢で言えば、安田さんは八重樫さんの4歳年上で、プロ入りは八重樫さんの2年後になります。あらためて、安田さんの思い出を振り返っていただけますか?
八重樫 確かに年齢は4歳上でしたけど、安田さんはとても気さくな人だったので、僕にとっては「同級生」という感覚なんです。何も遠慮しないで、お互いに自分の意見を言い合うことができる仲でした。僕はプロ入り後、内野をやったり、外野をやったりしましたけど、キャッチャーとして初めて、じっくりと語り合うことができるピッチャーが安田さんでした。
――前々回でもおっしゃっていましたが、「八重樫とバッテリーを組みたい」というのは、安田さんからの要望だったんですよね。
八重樫 自分のどこを評価してくれたのかはわからないけど、安田さんとバッテリーを組むことはとても多かったですね。当時の広岡(達朗)監督や、コーチだった森(昌彦・祇晶)さんの後押しもあって、安田さんとバッテリーを組むことができました。それは本当に感謝しています。ヤクルトが初優勝した1978年の開幕戦は、安田さんと僕のバッテリーでした。あの試合もいい思い出になっているよ。
――個人的な話になりますが、小学生の頃、僕が最初にサインをもらった選手が安田さんでした。小学生の頃は、『がんばれ!!タブチくん!!』が大ヒットしていた頃なので、安田さんは子どもたちに大人気でした。本当に残念です......。
八重樫 本当にいい人でしたね......。安田さんには感謝の思いしかないです。心からご冥福をお祈りします。
(第58回につづく)
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