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森祇晶が語った野村克也氏との史上最高の日本シリーズ「個人的な戦いだった」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

 野村は森を「ライバルだ」と言い、森は野村を「野球を知り尽くした人」と語った。球史に残る2人の「知将」はお互いを意識し、敬意を抱いていた。その2人が初めて相対したのが1992(平成4)年の日本シリーズだった。森は言う。

「僕はたくさんの日本シリーズを戦ってきましたが、その中でもあの2年間はまったく"毛色の違う"日本シリーズというのかな。もっと正確に言うとしたら"監督同士の戦い"かもしれない。正直なところ、"野村ヤクルト"との個人的な戦いだったシリーズ。当時はそういう見方をしていました」

「勝負の鬼」と称され、チームの勝利のためには非情に徹していた森が、「個人的な戦いだった」と言い切った。それほどまでに、森の中では野村の存在は大きかったのだ。

「あの2年間は、それまでに経験したことのないシリーズでした。表面的に見れば、1992年は西武が4勝3敗、1993年はヤクルトが4勝3敗で、それぞれ一度ずつ日本一になっている。でも、その内容たるや、一歩間違えればどっちに転ぶかわからない場面の連続でした。相手がこんな手を打ってくる。だから、こちらは我慢する。次にこちらが手を打つ。しかし、相手は誘いに乗ってこない。そういう場面がいっぱいあったし、久々に『チームの戦い』だけでなく、『監督同士の戦い』というのを感じたシリーズでした」

 その言葉には何の迷いもなかった。

【森にとって忘れられない「思い出の場面」】

「あの2年間で忘れられない場面は?」と尋ねると、森はためらいなく「1992年の最終戦ですね」と言った。3勝3敗で迎えた第7戦。西武は石井丈裕、ヤクルトは岡林洋一が先発していた。石井は中4日、岡林は中3日。共にこのシリーズ絶好調のエースの投げ合いで、息詰まる投手戦となった。

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