森祇晶が語った野村克也氏との史上最高の日本シリーズ「個人的な戦いだった」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

 2020年2月11日に野村克也さんが急逝してから1年が経った。

 選手としては捕手として世界初の三冠王に輝くなど、現役生活27年でプロ野球歴代2位の657本塁打、1988打点を記録。監督としてはヤクルトをリーグ優勝5回、日本一を3回導いたのをはじめ、プロ野球だけでなく社会人野球(シダックス)でも指揮を執り、数多くの名選手を輩出した。

 野球界への多大なる貢献は、いつまでも語り継がれていくだろう。あらためてその功績を讃え、昨年11月に好評を博した連載『黄金時代の西武ナインから見た野村克也』から、森祇晶さんが野村ヤクルトとの日本シリーズを振り返った記事を再掲載する。

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黄金時代の西武ナインから見た野村克也
第六回「盟友」
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【森と野村は、互いを認め合う盟友だった】

「野村監督と五分に戦うためには動かないこと。下手に動けば相手の術中に見事にハマってしまうから。とにかく"辛抱"ということを学んだ日本シリーズだったと思うし、みなさんが言うように、『史上最高の日本シリーズだ』と言っても何も差し支えないと、僕自身も思いますね。監督同士の"不動"を策とする、無言の戦いが繰り広げられたシリーズでした」

 1992年、1993年の日本シリーズについて記した、拙著『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)の取材において、最初から最後までほぼ「野村克也」の話題に終始したのが、西武の監督として黄金時代を築いた森祇晶だった。

1992年、1993年に日本シリーズを戦った西武の森監督(左)とヤクルトの野村監督(右) Photo by Sankei Visual1992年、1993年に日本シリーズを戦った西武の森監督(左)とヤクルトの野村監督(右) Photo by Sankei Visual 日本シリーズ前に「キツネとタヌキの化かし合い」、あるいは「似た者同士」とも言われた2人は、お互いを強烈に意識していた。生前の野村は言った。

「向こうはどう思っていたかはわからないけど、変なライバル意識というのかな、そういうものがオレにはあった。『森には負けたくない』という思いがずっとあったよ。オレ、そもそも巨人コンプレックスだから(笑)。子どもの頃から大の巨人ファンだったからね。彼はスカウトされて巨人に入団したけど、オレは12球団のどこからも声がかからず、南海にテスト入団。選手時代も、監督になってからも、『森には負けたくない』っていう思いはずっと頭の片隅にあったね」

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