敵将をこんなに意識するものか。
野村克也を西武黄金時代のナインが語る

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

黄金時代の西武ナインから見た野村克也
第1回 「序章」

【黄金時代の西武の面々は「野村克也」を強烈に意識していた】

 日本シリーズ史上、屈指の名勝負と称される1992(平成4)年、そして翌1993年の西武ライオンズとヤクルトスワローズとの真っ向勝負。西武・森祇晶監督、ヤクルト・野村克也監督、いずれも「知将」の誉れ高い名監督による息詰まる戦いは、四半世紀を過ぎた今でも多くの人々の記憶に生々しく息づいている。

指揮官としてヤクルトをリーグ優勝4回、日本一に3回導いた野村克也指揮官としてヤクルトをリーグ優勝4回、日本一に3回導いた野村克也 ここ数年、この2年間の戦いの全貌を描くべく、西武とヤクルトの関係者、のべ50人ほどに当時の心境について話を聞いて歩き、このたびようやく『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)と題して発売される運びとなった。森、野村両監督をはじめとする当時の関係者たちは、口々に「どちらが勝ってもおかしくなかった」と言い、およそ30年が経とうというのに、その記憶は実に鮮明だった。

 この本の取材中、「あること」に気がついていた。ヤクルトナインが当時の指揮官である野村について話すのは当然のこととして、西武ナインもいつの間にか、敵将である野村のことを口にし、その存在を強く意識していたことがうかがい知れた。たとえば、2020(令和2)年にパ・リーグを制覇したソフトバンク・工藤公康監督はこんな言葉を口にしている。

「僕は野村監督と一緒に野球をやったことがないので、"ID(Import Data)野球"がどういうものか知りませんでした。だから戦前は『僕らが気づいていない隙を突かれるのではないか』『西武の選手たちの特徴やクセを見抜かれているのではないか』、そんな不安がありました」

 この言葉に代表されるように、「この2年間の印象は?」という問いを投げかけると、西武ナインの多くは、こちらが尋ねていないにもかかわらず「野村監督が......」と、敵の指揮官の話題を切り出してきた。対するヤクルトナインの口から「森監督が......」と話題に出たことは一度もなく、実に対照的な光景だった。

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