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大杉勝男は若松勉に対し「一歩引いていた」。八重樫幸雄が明かす2人の関係 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【引退後はしゃべりの勉強もしていた】

――大杉さんと若松さんの仲がよかったことがわかってよかったです(笑)。大杉さんは1983年限りで現役を引退しました。当時は「不整脈が原因」と報じられましたが、大杉さんの自著『サムライたちのプロ野球』(徳間書店)でハッキリとそれを否定し、「当時の武上四郎監督との確執が原因で引退した」と書かれています。八重樫さんは、この状況をご存知でしたか?

八重樫 いや、細かいことは知らなかったな。大杉さんは後輩に愚痴を言うような人ではなかったから、僕ら後輩にそんな話はしなかった。僕自身も現役だったし、そういう話は聞きたくなかったから、積極的に情報を集めたりもしなかったからね。

――大杉さんの引退について、当時はどのように受け止めましたか?

八重樫 やっぱり、寂しかったですよ。「引退後、どうするんですか?」と聞いたら、「フジテレビとニッポン放送で解説をする」って。確か、ニッポン放送で和田アキ子さんと一緒にラジオをやったよね?

――あぁ、やっていました! 調べてみましたが、『大杉・アッコのホームラン歌謡曲』という番組のようです。

八重樫 そうそう、それで大杉さんに「どうしてあんなに上手にしゃべれるんですか?」と聞いたことがあるんだよね。そうしたら、「実はしゃべりの勉強をしているんだよ」と。アナウンサーか誰かに、話し方をきちんと学んでから解説業を始めたそうなんです。そういうところでも、大杉さんは真面目な努力家だったんだな、と思いました。

――大杉さんの現役引退後も交流は続いたんですか?

八重樫 こちらから連絡することはなかったけど、休みの日には「うちに来いよ」って電話がかかってきて、何度かお邪魔して料理をごちそうになりました。引退後の大杉さんは、お互いに現役同士だった時より穏やかになっていたから、僕もさらにしゃべりやすくなったよ。大杉さんの長女も長男も僕になついてくれたし。

――その後、大杉さんは1990(平成2)年から1991年まで大洋ホエールズのコーチを務めますが、翌1992年に肝臓がんのため47歳の若さで亡くなられました。

八重樫 亡くなられた時は、本当にショックだった。ただ、亡くなる直前にお見舞いに行けたことだけは、せめてもの救いだったな......。

――大杉さんの死について、あらためて次回に伺います。

八重樫 わかりました。大杉さんの死は本当につらかったし、今でも寂しい思いになりますね。

(第51回につづく)

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