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人的補償を告げられた瞬間。馬原孝浩は一瞬戸惑い、寺原隼人は絶句した (4ページ目)

  • 森大樹●取材・文 text by Mori Daiki
  • photo by Kyodo News

 チームが変われば当然新しい人間関係を構築しながら環境に順応し、結果を残さなければならない。FA人的補償選手は所属球団のプロテクトから漏れたという自身に対する評価と、移籍による環境の変化と向き合うことになる。越えるべきハードルは高い。

 その中で馬原は移籍先の環境に自分を合わせるだけでなく、自らが過ごしやすい状況を作り出していった。それが2014年の復活に繋がり、さらには引退後のトレーナー転身をも可能にしている。

(つづく)

■馬原孝浩(まはら・たかひろ)
1981年12月8日生まれ。熊本県熊本市出身。2003年ドラフトで福岡ダイエーホークス(当時)に自由枠で指名され入団。主にクローザーとして活躍し、オリックス移籍後も33ホールドを挙げるなど通算182セーブの記録を残して、2015年に引退。トレーナーに転身し、2020年10月には独立リーグ「火の国サラマンダーズ」のピッチングGMに就任することが発表された。
公式サイト>>

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