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人的補償を告げられた瞬間。馬原孝浩は一瞬戸惑い、寺原隼人は絶句した (3ページ目)

  • 森大樹●取材・文 text by Mori Daiki
  • photo by Kyodo News

 2人は同じ九州出身で城島健司氏の自主トレにも一緒に参加する仲でもあり、辛くもどかしい二軍時代をともに過ごしたよきライバルでもあった。

「(補償は)自分だったと伝えたら、寺原は絶句していました。でも、ちゃんと前向きな気持ちを打ち明けて、むしろオリックスのことはわからないからいろいろ教えてほしいと話しました」

 オリックスに移籍した馬原は1年目の2013年こそケガで離脱したが、翌2014年、セットアッパーとして55試合に登板・防御率3.55をマークして完全復活した。この年のオリックスは首位とゲーム差なしの2位と、近年最も優勝に近づいている。

 しかし、ソフトバンクからオリックスに移籍したことで大きく環境が変わり、馬原はさまざまな面でカルチャーショックを受けることになる。一番苦労したのはコンディション調整の部分だった。

「ホークスの時は体を維持するために独自のメニューやルーティーンを1日かけて行なっていたんです。一方でオリックスでは朝起きてから夜寝るまでの動きが全部決められていました。シーズン中もそれは同じで正直戸惑いましたし、馴染むのにも時間がかかりました。でもそれも他球団に移ったからこそ知れたことですね。わからないことはいろいろな人に質問することで解決していきました」

 オリックスに移籍してからは趣味の釣りを通して、坂口智隆、岸田護、小松聖などの選手とも公私に渡って交流を深め、徐々にチームに溶け込んでいったという。馬原が移籍後も活躍できた要因のひとつとして、周囲とコミュニケーションを取りながら、自分の環境を作れたということが大きかったのではないだろうか。

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