ドラ1候補なのに指名拒否。杉浦正則と
志村亮が会社員の道を選んだ理由

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

【プロ野球選手ではなくサラリーマンになった男】

 今年もドラフト会議が近づき、"10年にひとりの逸材"といった言葉に彩られてドラフト1位候補の名前が挙がる季節が到来した。そんな中で思い出すのは、かつて騒がれながらもプロ野球の指名を拒否した男たちだ。

プロアマ混合チームでシドニー五輪を戦った(左から)杉浦正則、古田敦也、松坂大輔プロアマ混合チームでシドニー五輪を戦った(左から)杉浦正則、古田敦也、松坂大輔 筆者が「その後」を追い、『プロ野球を選ばなかった怪物たち』(イースト・プレス)を執筆したのは2年前。「成功間違いなし」と高く評価されながら、プロ野球に進む道を選ばなかったアマチュア選手たちの「決断の理由」に迫った。今回はその取材時のコメントから、2人のスーパーエースを紹介する。

 ひとりは、慶應義塾大学野球部で通算31勝をマークした志村亮だ。

 桐蔭学園(神奈川)で2度甲子園を経験し、大学進学後は1年時から勝利を積み重ねていく。5試合連続完封、53イニング連続無失点といった輝かしい記録を達成するなど、複数球団が獲得を狙う選手になった。

 しかし1988年秋のリーグ戦を締めくくる慶早戦で投球を終えたあと、当時4年生の志村は試合後のキャッチボールをしなかった。「もうこの左腕を使うことはない」と決めていたからだ。志村はこう言う。

「プロ野球に対して悪い印象を持っていたわけではありません。ただ、プロ野球はアマチュアとは違うところだという認識がありました。肉体的な強さも、ピッチャーとしての技術も、バッターとの駆け引きも。プロ野球を仕事として選ぶことができなかった。覚悟のない選手が足を踏み入れちゃいけない世界だと思っていて、そういう意味では思い切ることができなかった」

 プロ野球のチームからの誘いは、4年生の春の時点で断っている。そして志村は、野球部がない三井不動産への就職を選んだ。

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