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ドラ1候補なのに指名拒否。杉浦正則と
志村亮が会社員の道を選んだ理由 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

「オリンピックは、一度出たらまた行きたくなるところです。野球ファン以外の方にも応援していただけます。決勝で負けてアトランタから帰った時、『おめでとう』と言われるかと思ったら、みなさんから返ってきた言葉は『ありがとう』だったんです。僕たちは感動を与えるためにプレーしているわけではありませんが、一生懸命にやってそう言ってもらえることはうれしかった。プレッシャーは他の大会とは比べものになりません。それでも、『もう一回!』と思いました」

 プロアマ合同チームで臨んだシドニー五輪では、準決勝でキューバに0-3で敗れ、3位決定戦でも韓国に1-3で競り負けた。杉浦は自身最後のオリンピックでメダルを獲得することができなかった。

 もし杉浦のプロ入りに適したタイミングがあったとするならば、1992年のバルセロナ五輪を終えたあとの、24歳の時だったかしれない。

「その時はヒジを痛めていて、痛み止めを打ちながら投げていました。結果は銅メダルに終わったので、『金メダルを獲りたい』と思い、アトランタにかけました」

【プロ野球を選ばなかった人生、それぞれの結論】

 あの決断に後悔はないのか?――ふたりに同じ質問をぶつけた。

 今も三井不動産に勤務する志村は言う。

「自分が不動産の仕事に合っていたのかどうか、他の仕事をしたことがないので比較はできません。でも、向いてないと思ったことは一度もありません。野球を続けなかったことを後悔したこともありません」

 オリンピック3大会に出場して、銀メダルと銅メダルを獲得した杉浦は、20000年シーズンを最後に32歳で現役を引退。その後は日本生命で投手コーチ、監督を務めるなどしてチームを支え、現在は日本生命の営業部長を務めている。

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