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ドラ1候補なのに指名拒否。杉浦正則と
志村亮が会社員の道を選んだ理由 (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

「僕の場合、社会人野球でプレーするつもりは初めからありませんでした。大学を出てからも野球を続けるとしたら『プロ野球で』とは思っていましたが、その可能性は5%くらい。最終的な決断を下す段階では迷いはありませんでした。

『通用するかしないかわからないけど、自分の力を試したい』と言って入る世界ではないと思っていました。プロ野球は本当に厳しい世界で、体を壊したり、実力が足りないと判断されたりするとすぐに戦力外通告を受けますから。それでもいいから、一生を捧げるつもりで入るかと考えたら、そうではなかった」

 ユニフォームを脱いだドラフト1位候補は、スーツ姿で通勤電車に揺られるサラリーマンになった。

「いろいろな業種の中から三井不動産という会社を選んだのは、不動産の仕事と、三井不動産が好きだったから。それならば頑張れるはずだし結果も出せるはずだと、前向きなプレッシャーを自分にかけました」

【プロ野球よりもオリンピックを選んだ男】

 もうひとりは、バルセロナ大会からシドニー大会まで、3大会連続でオリンピックに出場した杉浦正則。橋本高校(和歌山)時代は甲子園に出場できなかったものの、名門・同志社大学のエースとして関西学生野球リーグで通算23勝。1990年秋の明治神宮大会では日本一に輝いた。

 大学卒業後は社会人野球の名門・日本生命に進み、チームのエースとして、そして全日本のエースとして投げ続けた。オリンピックに出場する全日本メンバーが完全にアマチュア選手(大学、社会人)で構成されていたのは1996年のアトランタ大会までだが、杉浦はプロ野球の選手が参加するようになった2000年のシドニー五輪で主将を務めた。

 オリンピックかプロ野球か――。第一線で活躍している間、ずっとその去就が注目されたピッチャーだった。それでも「プロでも確実にふたケタは勝てる」と評価された男は、一度もプロのマウンドに立つことなくユニフォームを脱いだ。"ミスターアマチュア野球"と言われたままで。

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