内海哲也「変わったとしたら気持ち」。西武2年目で感じる崖っぷちの緊張 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

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 内海ほどの経験と実績があっても、野球人生の崖っぷちに立たされたと感じるとプレッシャーを感じるのだ。思えば、勝つことが当たり前だった頃、内海は落ち込むと車の中でコブクロやゆずのバラードを熱唱しながら、涙を流して溜まったストレスを発散しているのだと言っていた。しかし今は感情を爆発させていた頃とは違って、ずいぶん穏やかになったのだという。

「所沢までは通勤時間も長いので、車の中ではラジオを聴くようになりましたね。ちょっと和みたいという気持ちがあるのかもしれません。FMにおもしろい番組がいっぱいあって、1時間半ぐらい、いつもひとりでニヤニヤしながら聴いています」

 ラジオと言えば、ファームの練習を終えてもまだ陽のあるこの季節、いつもならラジオから流れてくるはずの夏の甲子園の実況中継を今年は聴くことができない。高校時代、甲子園には届かなかった内海が、当時の複雑な思いをこう明かした。

「やっぱりこの季節になると、悔しかった高3の夏を思い出しますね......だいぶ、薄れてはきましたけど(苦笑)」

 内海は高校時代、『北陸のドクターK』と呼ばれ、敦賀気比のエースとして秋の北信越大会で優勝。春のセンバツへ出場することが決まっていた。しかし他の部員の不祥事によって、出場辞退を余儀なくされる。

3年の春は福井で優勝、夏の福井大会でも決勝まで勝ち進んで甲子園まであと一歩というところへ辿り着きながら、延長の末、福井商に2-3で敗れてしまった。春も夏も、つかみかけた甲子園出場という夢を叶えることができなかったのだ。

「延長10回、三塁打を打たれて勝ち越されたんですけど、もし、もう一度やり直せるとしたら、あの場面、真っすぐを投げたいですね。カーブを投げてしまったので......」

 大事な場面で直球勝負を挑まなかったことに悔いが残るという内海は、こう続けた。

「でも、今年の高校3年生は甲子園を目指すことのできない夏ですから......僕らは甲子園に出られなかったけど、チャンスはありました。目標は達成できなかったけど、目標に向かっていくことはできたんです。それさえできないというのは、本当にかわいそうだと思います」

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