2020.06.22

千賀滉大を変えた魔法の言葉。
「快速ノーコン」は球界のエースになった

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Hanjo Ryoji

東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第27回 野球・千賀滉大
プロ1年目オフに参加した自主トレ(2012年)

 アスリートの「覚醒の時」──。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく──。

毎年1月に福岡・八女で自主トレを行なう千賀滉大 昨年の開幕戦で自己最速の161キロを記録し、9月にはノーヒット・ノーランを達成したソフトバンクの千賀滉大。

 いまや球界を代表する投手となった千賀が、かつて育成ドラフト4位でプロ入りした事実はもう説明不要なほど語り尽くされてきた。だが、実際に「背番号128」だった時代を知る人は多くないはずだ。

 また、プロ2年目の2012年4月23日に支配下登録された時の背番号は、現在の「41」ではなく、球団のエースナンバーである「21」だった。

 育成枠からの卒業は早かった。では、ルーキーイヤーに目立った実績を残したかといえば、答えは「ノー」だ。

 二軍公式戦の登板はゼロ。千賀の入団と同時に三軍も発足したが、そこでも登板が多いわけではなかった。むしろ、夏場まではまったく試合で投げていなかったほどだ。