鈴木誠也が「練習の鬼」になったきっかけ。
未熟さを突かれた屈辱の一戦
東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第28回 野球・鈴木誠也
初めて出場したクライマックス・シリーズ(2014年)
アスリートの「覚醒の時」──。
それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。
ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。
東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか......。筆者が思う「その時」を紹介していく──。
いまや押しも押されもせぬカープの4番となった鈴木誠也 いまや広島のみならず、侍ジャパンの主砲にまで成長した鈴木誠也は挫折するたびに強くなってきた。
初めて規定打席に到達した4年目の2016年は、春季キャンプで右ハムストリング筋挫傷による離脱があった。また、「神ってる」と言われた3戦連続決勝弾の前は、2試合連続スタメン落ちを味わっている。
なにより主砲となった今でも、チーム屈指の練習量をこなすきっかけは、1年目にプロのレベルの高さを痛感したからだ。
球団として14年ぶりの高卒新人野手の一軍出場も「7打数1安打」という結果に終わり、「もっとできたはず」と発奮材料にした。常に危機感を持ち続け、挫折を糧にできる精神力がいまなお成長し続けられる要因だろう。
だから、「鈴木誠也の覚醒の瞬間は?」と聞かれても難しい。先述したような挫折を機に覚醒し続け、今もまだ完成形は見えていない。
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