甲子園に愛された黒川家。全国V経験者の
父が語る3兄弟の違いと指導法 (2ページ目)
洋行さんが高校時代を振り返る。
「僕がいた頃の上宮は、上の2学年で7人もプロに行くほどレベルが高かった。そのなかで早い段階から使ってもらったんですけど、高いレベルのなかに身を置くと、『自分はこんなにできるんだ』と思えるほど上達するんです」
当時の上宮は、大阪で屈指の強豪校としての地位を築いており、ハイレベルな選手が集まっていた。厳しい練習と激しい競争に揉まれ、洋行さんは野球の奥深さを学んだ。
その後、同志社大、ミキハウスでプレー。7年目のシーズン後に休部が発表されると、セガサミーへ移籍。「自分よりも若い子を優先して試合に使ってほしい」と、おもにコーチとしてチームを見守った。8年間在籍したのち、母校・同志社大のコーチに就任。その傍ら、現在は地元・奈良でバッティングセンターを経営している。
このように黒川家の日常に野球があるのは当然で、3人の息子たちも自然と野球に触れていった。
「一応、家にテレビゲームはあったんですけど、『野球のほうが面白いよ』とボールやグラブを置いて、(子どもたちが野球に興味がわくように)仕向けました(笑)」
交友関係の広い洋行さんが連れてきた野球仲間と家族ぐるみで食事をともにすることもあり、そのなかにはプロの第一線で活躍する選手もいた。『こんなすごい選手になりたい』と子どもたちは大きな目標を持ち、野球への興味はどんどん強くなっていった。
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