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松坂世代のいま。PL出身・大西宏明が
波乱万丈の野球人生を振り返る (5ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh
  • photo by Kyodo News

 戦力外となった大西はトライアウトを経て、ソフトバンクに育成選手として入団した。NPBではこれが最後のキャリアとなった。

「2011年はソフトバンクが三軍制を初めて敷いた年でした。三軍は、福岡から四国までバスで行って、独立リーグの四国アイランドリーグplusのチームと交流戦をしたり、球場とは言えないような地方のグラウンドで試合したりすることもありました。この年の新人には柳田悠岐がいたし、育成枠でも千賀滉大、甲斐拓也、牧原大成らがいました。

 育成の選手は、右も左もわからないような印象でした。千賀はフィールディングも知らないし、ベースカバーもできなかったけど、球だけは速かった。甲斐は捕ってから投げるまでの速さはずば抜けていました。今まで何人もキャッチャーを見てきましたが、コイツはすごいと思いました。彼らを見て、ソフトバンクはこういう選手を育てるんだと思いました。9年間のプロ生活でしたが、こういう体験もさせてもらって、有意義でした」

 ソフトバンクを1年で戦力外となった大西は現役引退を決意。野球界を離れ、第二の人生を送ることになる。

後編につづく

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