八重樫幸雄が振り返る、個性強すぎなヤクルトの「助っ人外国人」たち

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

連載第12回(第11回はこちら>>)

【本当のプロだったデーブ・ロバーツ】

――今回は、八重樫さんが見てきた「スワローズ歴代助っ人」について伺いたいと思います。八重樫さんにとって最初に印象に残っている外国人選手は誰ですか?

八重樫 まだプロになる前の話なんだけど、僕が最初にプロ野球を生で観戦したのが高校生の時。県営宮城球場で見た大洋ホエールズ対サンケイアトムズ戦だったんだけど、この試合で大洋の平松(政次)さんがプロ初完封したんだよね......。

――ちょっと待ってください、手元の資料で調べますね。......あっ、1967(昭和42)年8月20日の試合ですね。この試合と外国人選手がどんな関係があるんですか?

八重樫 この試合でサンケイのセンターを守っていたのが、(デーブ・)ロバーツだったんだけど、守っている姿を見て、「すごい選手だな」って思ったことを覚えている。僕がプロに入った時にも、まだ在籍していたんだけど彼は本当のプロだったね。

――ロバーツはシーズンオフでも帰国せずに上智大学に通って勉強をして、「日本人以上に日本人」だと言われていましたよね。どういう点で、「本当のプロ」なんですか?

八重樫 考え方がプロだったよ。あれは僕がプロ2年目だから、1971年のことだったと思うけど、一軍に上がってプレーした時に彼に叱られたんだよね。通訳を介してだけど、真剣な目をして怒っていた。あまりにもすごい勢いで怒っているから、「何事かな」と思って通訳に訳してもらったんだけど......。

――怒られた理由は何だったんですか?

八重樫 僕が見逃し三振をした時には、「自分の打順が回ってきたのならば、きちんと責任を持って打席に立て!」って言われたよ。守っている時でも、身振り手振りで「こうやって(打球を)止めなければダメだ」って言われたこともあったな。あの時代の外国人選手は日本野球を舐めている選手が多かっただけに、余計にロバーツの真剣さ、熱心さは嬉しかったし、今でも印象に残っているよ。

【最悪な性格だったチャーリー・マニエル】

――ほかに印象に残っている外国人選手はいますか?

八重樫 やっぱり、(チャーリー・)マニエル、そして(デーブ・)ヒルトンかな?

――いずれも1978年のヤクルト初優勝、日本一に貢献した助っ人ですね。

八重樫 マニエルは長打が注目されていたけど、彼の場合は全方向に打てるバッティングが魅力だったと思います。ただ、さっきのロバーツと違って、とにかく性格が悪かった(笑)。日本野球を舐めきっていたよね。あの頃、いちばんかわいそうだったのはコーチだった丸山(完二)さんだったな。

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