2019.12.19

八重樫幸雄が語るヤクルト80年代投手
「能力が菅野より上と思うのは…」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi



連載第11回(第10回はこちら>>)

【荒木大輔のハートの強さは天下一品だった】

――連載7回目では松岡弘さん、安田猛さん、鈴木康二朗さんなど、八重樫さんとバッテリーを組んだ歴代ヤクルト投手陣について伺いました。今回は、その続きとなる1980年代投手について伺いたいと思います。1980年代のチーム低迷期は、早稲田実業高校から荒木大輔さん、東海大学から高野光さんが入団するなど、ドラフト1位の好投手が話題となりましたね。まずは1982(昭和57)年ドラフト1位、荒木大輔さんの印象はいかがですか?

八重樫 当時、「大ちゃんフィーバー」と騒がれていたけど、僕の場合は高校日本代表に選ばれたときに、同学年だった太田幸司(元近鉄など)の大フィーバーを見ていたから、そんなに驚かなかったかな。それでも大輔が入団したときの神宮球場の熱気はすごかったよ。

プロ初先発で初勝利を挙げた荒木大輔 photo by Sankei Visual――投手としての荒木さんは、どんなタイプのピッチャーでしたか?

八重樫 大輔は練習よりも、試合で本領を発揮するタイプのピッチャーだったね。実際、ブルペンでひとつひとつのボールを見たら、プロとしては大したレベルじゃない。だけど、マウンドに上がると気持ちが勝つんです。そして、バッターはその気迫に気圧(けお)される。

――確かに、そういうイメージでした。球種はストレートとカーブでしたよね。

八重樫 あとはシュートを投げていたかな。ただ、シュートはよくすっぽ抜けていたけどね。そのあと、故障してからはシンカー気味のボールも投げていたけど、荒木の場合はシュート回転するストレートが最大の武器。カーブはドロップのような曲がりの大きいものだったけど、なかなかストライクは取れなかった。とにかくストレート頼みのピッチャーだったね。

――とはいえ、そのストレートも140キロに届くかどうかというスピードでしたよね。

八重樫 そうでしたね。ただ、荒木はコントロールがいいんで、ストライクからボール気味のボールが投げられているときは、そのスピードでも十分に抑えられました。少しでも甘くなるとガツンとやられたけど。

――キャッチャーとしては球種の少ない投手をリードするのは大変ではないですか?

八重樫 いや、逆にラクなんです。大輔の場合は「決め球は真っ直ぐ」と最初に決められるので、そんなに悩む必要がない。あとは、どうやってカウントを作っていくかということをバッターごとに考えていくだけですからね。それに、マウンド度胸は天下一品なので、「バッターに当てるつもりでインコースを突け」と指示すると、ズバズバ内角に投げてくる。ちょうどいいところに決まるんです。大輔の場合、その度胸で持っていたと言ってもいいぐらいだよ。

――打者に対して一歩も引かない姿勢は典型的なピッチャータイプでしたね。

八重樫 大舞台にも動じることはないし、先輩を先輩とも思っていなかったし(笑)、マウンドではまったくひるむことはなかったし、ピッチャーらしいピッチャーだったと思います。