楽天の台湾プロ野球・ラミゴ買収であらためて思い出したい先人の言葉 (2ページ目)

  • 木村公一●文 text by Kimura Kouchi
  • photo by Kyodo News

 今回、身売りが発表された際、ラミゴの社長は「中小企業が球団を持つ時代は終わった。より積極的な展開をしていくためには、大きな資本が必要」と撤退の理由を説明した。

 実際、チームの人気と実力をよそに、身売り話は以前からささやかれ、とくに昨年あたりから「いつ売られてもおかしくない」(台湾球界関係者)と言われており、具体的な企業の名前も挙がっていた。

 そして今年9月、ラミゴの買収が発表されたが、その相手はなんと楽天だった。

 では、楽天は台湾プロ野球でどのような展開を見せるのだろうか。9月の会見で具体策は出なかったが、ユニークな発想で仙台の球場を満員にした球団だけに、"仕掛け"は考えているはずだ。

 ただ、こう危惧する声もある。

「台湾人は新しいもの好きな"国民性"なので、外資の親会社でも抵抗なく好意的に受け入れるでしょう。ただ、上から目線にはとても敏感です。親日だからといって何でも受け入れるわけではありません」

 その話を聞いて、思い出したことがある。

 1990年に発足した台湾プロ野球は、当時、指導者不足に悩まされていた。そこで日本球界とのパイプを利用し、多くの球団が日本人を監督やコーチに招いた。一時期、全6チームのうち5チームが日本人監督ということもあった。

 しかし、そのほとんどは成功しなかった。

「日本でプロ経験のある者が言うんだから、素直に従え」

 苦言を呈することが、台湾プロ野球の発展につながると勘違いする人が多く、なかには出稼ぎ感覚で来る者もいた。

 そんななか、数少ない成功をおさめたひとりが、山根俊英氏だ。山根氏は1950年に毎日オリオンズ(現・ロッテ)に入団し、アンダースロー投手として活躍。1958年に現役引退すると、その後、日本ハムやロッテなどのコーチを務め、1992年に台湾にわたり、兄弟象隊(エレファンツ)の監督に就任した。当時、最も人気球団だった兄弟を3連覇に導いた山根氏は、こんなことを言っていた。

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