2019.10.14

工藤公康は監督になって痛感。
名将・野村克也は「やっぱりすごい方」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(46)

【エース】西武・工藤公康 後編(前編の記事はこちら>>)

【1993年シリーズは、ほとんど記憶にない】

――左足肉離れで本調子ではなかった1992(平成4)年の日本シリーズでしたが、ライオンズは4勝3敗で日本一に輝きました。そして、翌1993年は腰痛をおしての出場となりました。この年は初戦の先発マウンドに上がっています。

工藤 なぜか、この年はあまり記憶がないんですよね。日本シリーズ初戦だからといって、特別な意識は持たずにマウンドに上がった気がします。

――このときは1回1/3を投げて4失点で降板しました。6つのフォアボールを与えたことで、森祇晶監督は「ペナントレースではあり得ないことが起こった。これが日本シリーズだ」と発言しています。

工藤(ジャック・)ハウエルに3ランを打たれたんですよね。(映像を見ながら)この頃は太っているし、投げ方も悪い。これは「緊張」ではなく、単なる「体調」の問題ですね。この試合も、ほとんど記憶にないです。今、あらためて映像を見ると、ハウエルに対しては配球にも問題がありますね。勝負にいく前に、一球スライダーを投げていれば結果も変わったのかもしれません。

映像を見ながら当時を振り返る、現・ソフトバンク監督の工藤氏photo by Hasegawa Shoichi――1993年の日本シリーズでは、初戦の先発に続いて、第5戦にも先発して、4回2/3を無失点に抑えました。そして、最終戦では先発・渡辺久信投手の後を受けて二番手でリリーフ登板。全部で3試合を投げています。

工藤 ごめんなさい、まったく覚えていないです(笑)。こんなことを言うと偉そうだけれど、この頃のうちは常に優勝したり、日本シリーズに出場していたりしたので、慣れてきていたというのもあったのかもしれないですね。すみません。

【敗れはしても、「西武野球」への信頼は揺らがなかった】

――結局、1992年、1993年と2年続けてスワローズとの日本シリーズとなりました。当時のライオンズの方々にお話を伺うと、「前年に比べると、1993年のヤクルトは急激に強くなった」という発言が多く聞かれました。この点についてはどんな印象をお持ちですか?

工藤 当時は選手だったので、詳しく分析をしていたわけではないですけど、確かに「今年のヤクルトは成長しているな。いいチームになっているな」という実感はありました。後から考えれば、「うちは(オレステス・)デストラーデがいなくなった」とか、いろいろ理由はあるんですけど、ヤクルトの強さは確かに感じていたと思います。