工藤公康は監督になって痛感。名将・野村克也は「やっぱりすごい方」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――前回のお話にもありましたが、1992年シリーズ前には、いわば「野村監督の幻影」に警戒していたというエピソードがありましたが、実際に戦ってみて、「野村野球」「ID野球」に対する印象の変化は生まれましたか?

工藤 あらためて、野村さんのすごさを実感しましたね。自分が監督になって痛感しているのは、「自分の考えや思いを、しっかり選手に伝えるのはこんなにも大変なことなのか」ということなんです。一度伝えたからって、そう簡単に選手たちに理解してもらえるものではない。何度も何度も繰り返して、選手たちが実感してくれたときにようやく、伝えたいことが伝わるんです。それをきちんと選手たちに伝えた野村さんは「やっぱりすごい方だな」と思いますね。

――1990年にスワローズの監督に就任した際に、野村さんは「1年目で種をまき、2年目に水をやり、3年目で花を咲かせる」と発言していました。そして、その3年目にセ・リーグ優勝、4年目に日本一に輝きました。やはり、監督の考えを選手たちがきちんと理解するには、時間がかかるものなのですね。

工藤 野村さんが監督に就任したときに、何時間もミーティングをやることが話題となりましたよね。当時は「キャンプ中に何時間もミーティングされたら、絶対に寝ちゃうよ」と思っていたんですけど、それでも地道にミーティングを続けていたことがすごいですよ。野球というのは、頭で理解したことを体で表現するもの。そして、できなかったことをきちんと埋めていく作業を繰り返していく。そうして、また学んで、頭で理解して、体で表現する。その繰り返しで成長できると思うんですけど、野村さんは見事にそれを実践されましたよね。

――2年間にわたった日本シリーズでの戦いを通じて、あらためて野村さんの実績、功績が理解できるようになったんですね。

工藤 野村さんは野球のこと、人間のこと、チーム作りのことをきちんと理解されていたし、チームが成長するためには何をすればいいのかをずっと考えてきた方なんだと思います。それが初めて体現されたのが1993年の日本シリーズだったんでしょうね。

(川崎憲次郎の証言につづく)

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