工藤公康は肉離れを隠して先発。全力疾走で「ブチ」と不穏な音がした

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(45)
【エース】西武・工藤公康 前編(前回の記事はこちら>>)


 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、黄金時代を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載23人目。

第12回のテーマは「エース」。現在はソフトバンクの監督であり、現役時代は長きにわたってマウンドを守り続けた西武・工藤公康のインタビューをお届けしよう。

先発として黄金時代の西武を支えた工藤 photo by Sankei Visual先発として黄金時代の西武を支えた工藤 photo by Sankei Visual【野村監督や古田敦也の存在が不気味だった】

――ライオンズ、スワローズのみなさんに、1992(平成4)年、翌1993年の日本シリーズについて伺っています。

工藤 30 年近くも前のことですから、記憶が曖昧な部分もあります。それでも大丈夫ですか?

――当時の資料や映像を持参しましたので、それを見ながら質問させてください。この2年間については、どんな思い出が残っていますか?

工藤 当時の西武は、すでに「常勝チーム」だと言われていた頃ですよね。そこで、相手が野村(克也)さん率いるヤクルトに決まった。日本シリーズでは結果を残していた西武だったけど、野村さんが言っていた「ID野球」という言葉に象徴されるように、「たぶん、苦労するんだろうな」と思いながら臨んだ日本シリーズだった気がします。

――それは、野村さんや、「ID野球」に対する警戒心からですか?

工藤 そうですね。「相手の隙を突く」というか、僕らが気づいていない弱点を丸裸にされているんじゃないか、見抜かれているんじゃないか。そんなことを気にしていましたね。それに、キャッチャーの古田(敦也)くんを中心にバッテリーがしっかりしているチームだと思っていたので、そういうチームとの対戦は苦労するだろうと考えていました。

――当時、「野村野球」や「ID野球」といったスワローズ野球の実態を、どのくらい理解、把握していたのですか?

工藤 今のように交流戦で対戦するわけでもないし、野村さんと一緒に野球をやったこともないので、実際に野村さんの野球を理解していたわけではないんです。でも、野村さんのようにパ・リーグでもセ・リーグでも監督経験があって、あれだけ野球を極めた方だから、「西武の選手の特徴や弱点は見抜かれているのでは?」という思いがあったのは事実です。どちらかというと、野村さんや古田くんの存在を気にしながら試合をしなければいけなかった。そんな日本シリーズだったのかもしれないですね。

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