2019.10.09

古田敦也が西武戦で絶妙な判断。
クロスプレーに右足ブロックで構えた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(44)

【司令塔】ヤクルト・古田敦也 後編(前編の記事はこちら>>)

【「1993年は4タテで勝つつもりだった」】

――1992(平成4)年は善戦むなしく3勝4敗でライオンズに敗れたものの、スワローズは1993年もセ・リーグを制し、日本シリーズに進出。相手は悲願のライオンズでした。この年は、戦前の手応えをどのように感じていましたか?

古田 全然、行けると思っていましたよ。(ジャック・)ハウエルがいて、広沢(克己/現・広澤克実)さんがいて、池山(隆寛)がいて、僕がいて、野手陣はメンバーがそろっていたし、投手陣も川崎(憲次郎)が戻ってきていましたからね。この年は「4タテで勝ってやろう」と思っていました。実際に4タテできるとは思っていないですよ。でも、「ひとつも負けたくない」って思っていたし、自信もありましたしね。

1993年の日本シリーズ第4戦に先発した川崎とキャッチャーの古田 photo by Sankei Visual――この年、ライオンズではオレステス・デストラーデ選手がメジャーに復帰。ライオンズ打線に大きな穴が開きました。

古田 いや、それはあまり感じませんでしたね。デストラーデが抜けても、鈴木健とか代わりの選手が出てくるわけなんで、またその選手を研究するから、「デストラーデが抜けたぞ!」という感覚はあまりなかったです。

――1992年と1993年でシリーズに臨む際の感覚の違いなどはありましたか?

古田 1992年は「いっちょ、やったるで」という感じだったけど、実際に第7戦まで戦ってみて勝てるチャンスもあったし、「必ずしも負ける相手ではない」ということはわかっていました。それに、1993年は自分たちも力をつけているのがわかっていたし、「優勝しよう!」と思ってセ・リーグで優勝したから、「シリーズでは絶対に西武に勝つ!」って思っていましたよ。1992年は「勝てたらいいね」という感じだったけど、1993年は「絶対に勝つ!」。そんな違いがありましたね。

――たった1年で、劇的に心境が変化したんですね。

古田 そうですね。本当にひとつも負けたくなかった。だから、(ヤクルトの2勝0敗で迎えた第3戦で)西武に負けた時には「うわ、負けた」って思いましたもん。「力は絶対にこっちのほうが上だ」と思いながら戦っていました。