昭和プロ野球のレジェンド・八重樫幸雄が振り返る「名将の魔術」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――それにしても、三原さんは高卒2年目の若手選手に対しても、「八重樫くん」と、"くん付け"で呼ぶんですね。

八重樫 そうでした。「若松くん、松岡くん」みたいな感じで、誰に対しても"くん付け"だった。自分が年上だからとか、実績があるからとか、そういうことで、威張ったりするような人じゃなかったけど、そういう人はあの時代では珍しいタイプだよね。

――そういう意味では「理不尽な体育会系」という感じではなく、「理性的な指導者」というイメージが強い方だったんですね。

八重樫 そうだね、まさにそんな感じかな。選手時代に三原さんの指導を受けて、5度の本塁打王はじめ多くのタイトルを獲得した中西太さんも、三原さんのことは心から尊敬していましたから。中西さんは三原さんの義理の息子(1956年に三原の長女のもとに婿入り)でもあるわけだけど、今でも中西さんと話をしていると、「本当に親父はすごかった」って口に出ることがある。中西さん自身、何度か監督経験(西鉄ライオンズなど)があるけど、「オレは監督に向いてなかった」って言って、続けて「親父のような気持ちの強さを少しでも持っていれば......」と口にしていたこともあったよ。

(つづく)

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る