2019.08.15

打倒・松坂に燃えた夏。PL主将の
平石洋介は最高のチームを完成させた

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

連載第4回 新リーダー論〜青年監督が目指す究極の組織

「これは打てん」

 横浜高校の松坂大輔(現・中日)のボールは、PL学園のコーチである清水孝悦(たかよし)の想像をはるかに超えていた。

 1998年のセンバツ。

 清水が初めて松坂の投球を目の当たりにしたのは、横浜対郡山の準々決勝だった。「大会ナンバーワン」と松坂の評判は耳にしていたが、「常勝PL」の精神が根付く清水からすれば、「いいピッチャーだろうが、そこまでではない」と予測を立てていた。

PL学園の主将として1998年の甲子園に春夏連続出場を果たした平石洋介 郡山戦の試合前ブルペンで観た松坂のボールは、センバツ出場校の投手どころか、同世代の誰よりも突出していた。最速150キロのストレート。打者に「消える」と言わしめる高速スライダー。すべてが一級品だった。

「完全試合を食らうんちゃうか?」

 常に強気。「勝つも負けるも、お前らの腹ひとつやでぇ!」と選手たちの尻を叩く男が、畏怖の念に駆られるほどだった。

 主将の平石洋介も清水と同じ認識だった。

 背番号「13」ながら、準決勝に「2番・ライト」で出場した平石は、松坂の前に3打数無安打と屈した。

「別格でした。センバツは、僕らも初対戦だったこともありましたけど、同じ高校生であれだけのピッチャーは見たことがなかった。関西もそうだし、全国には高いレベルのピッチャーが多くいましたけど、大輔は頭ひとつ、ふたつ抜けていました」

2対3。PL学園は敗れたとはいえ善戦した。それどころか、7回まで2対0と横浜を追い詰め、逆転を許したのもちょっとした守備のミスだった。松坂に対しても5安打と、完璧に抑え込まれたわけではなかった。

 結果はPL学園の意地と力を示しているかもしれない。しかし、清水や平石が考えたように、松坂は別格だった。

「打倒・松坂」「横浜を倒して日本一に」——敗戦直後、PL学園の選手たちは誓いを立てた。

 常勝の闘志に炎が宿る。じつはこの時、PL学園は岐路に立たされていた。当時の最多記録である甲子園通算58勝の名将・中村順司が、横浜戦を最後に勇退。それに伴い、コーチの清水も現場を退き、実家の寿司店を継ぐ予定だった。だが、横浜戦が運命を変えた。中村が去り、清水は残った。男気と意地。コーチ続投はそこに尽きる。