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打倒・松坂に燃えた夏。PL主将の
平石洋介は最高のチームを完成させた (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

 いつもなら「お前ら、はよ準備せぇ!」と怒声で促すところ、メンバーが室内に入ってきた時には、後輩たちによってスタンバイは完了していた。「いつでも始められます」といった温和なムードではない。「こっちは投げたくてうずうずしとんねん。はよ投げさせろや!」。そんな殺気が漂っていた。

「なんも言わんでもいい状態やった。ホンマすごい雰囲気やった」

 強面の清水の表情が引き締まる。主将の平石も「こいつら、俺たちの戦いに乗っかってきてくれている」と胸が熱くなった。

「先輩からすれば『後輩はやって当たり前』ってなるかもしれませんけど、あの練習は後輩たちも本当に気持ちを込めてくれたというかね。本当に僕らのために投げてくれました。すごく印象深い時間でしたね」

 5メートルほどの至近距離からストレートと変化球を打つ。それは福留孝介(現・阪神)が3年だった1995年から導入された、PL学園の名物練習のひとつだった。

 全力投球する清水が凄む。

「松坂を打つんちゃうんかい!」

 はじめのうちはバットにかすりもしないどころか反応もできない。10球、20球......選手たちの思考が徐々に冷静になっていく。「どうしたら打てるか?」。トップの位置が低い選手は、あらかじめ高い位置でバットを構え、脚を高く上げるフォームの選手ならばノーステップに切り替え、スイングの始動を早める。

「バットを振れ! 見逃すな!」

 清水の怒号が飛ぶ。PL学園では見逃しは厳禁。バットを振ることで対応力を養わせるためだ。それは、至近距離でも同じである。

 ストレートと変化球に目が慣れていく。体の反応が速くなり、バットにボールが当たるようになる。ファウル、ゴロ、フライだった打球が徐々にバットの芯でとらえられるようになる。気がつけば、時計の針は21時を回っていた。準備は整った。

 宿舎に到着したのは22時過ぎだったと、平石は記憶している。

 翌8月20日の横浜戦は8時30分開始の第1試合だ。朝は4時頃には起床するだろう。気持ちは高ぶっているが、頭は冷静だった。平石は床に就き、すぐ眠りについた。

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