昭和プロ野球のレジェンド・八重樫幸雄が
振り返る「名将の魔術」 (3ページ目)
【三原監督から言われた「本物になったな」という言葉】
――まだ入団数年だった八重樫さんと、当時すでに「名将」の呼び声高い三原さん。年齢も経験もキャリアも、すべてが上である三原さんとは普通に会話をできたのですか?
八重樫 いや、全然会話なんてできるような感じじゃないですよ。今は選手が監督に気軽に声をかけたりすることができるようになったけど、僕らの頃は、年功序列というのか、当時の野球界は今よりもずっと厳しい世界でしたから。たぶん、古田(敦也)たちの時代くらいから、監督と選手の距離は近くなったと思うな。
――じゃあ、三原さんとは直接コミュニケーションをとったことはほとんどない?
八重樫 うん、ないね。でも、1度だけ三原さんに褒められたことは、よく覚えていますよ。あれはプロ2年目のこと。当時の僕は一軍と二軍を行ったり来たりしている状態だった。で、この年の夏にファームで北海道遠征をしたんです。関東の大洋も巨人も、3チームが北海道に集まって1カ月くらい試合をしたんだよね。この時、打撃が絶好調で13試合ぐらい出場して、10本だったか、11本だったか、とにかくホームランを量産したことがあったんです。
――ファームとはいえ、高卒2年目の若者が短期間で10本もホームランを打ったら、注目されますね。帰京後、すぐに一軍に呼ばれたんですか?
八重樫 そう、すぐに一軍に呼ばれてフリーバッティングをしていたら、それを三原さんがずっと見ていてくれたんです。そして、練習が終わったら、三原さんが直接、「八重樫くん、ようやく本物になったな」って言われたんです。
――おぉ、それは本当にうれしいですね。どういう点が「本物」だったんですか?
八重樫 いや、詳しくは僕もわからない。それ以上、監督と会話をするなんて雰囲気じゃなかったから。今の選手たちだったら、気軽に聞けたのかもしれないけど、当時はそんな雰囲気じゃなかったからね。あの松岡さんだって、三原さんに声をかけられたときには直立不動でしたから。ただ、いずれにしても、あの三原さんから直接、「本物になったね」と言われたのは本当にうれしかったし、今でもよく覚えているよ。
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