2019.04.11

山田久志が語る谷繁元信獲得秘話。
「名古屋って、難しいところだよ」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

連載「礎の人 ~栄光の前にこの人物あり~」第3回:山田久志(前編)

 派手なファインプレーは誰が見てもわかる。優勝の瞬間のヒーローもまた万人は知る。しかし、その場の勝利は遥か彼方にありながら、創成期や過渡期のチームを支え、次世代にバトンを渡すために苦闘した人物に気づく者は少ない。礎を自覚した人は先を見据えた仕事のしかた故にその結果や実績から言えば凡庸、否、惨憺(さんたん)たるものであることが多い。しかし、スポーツの世界において突然変異は極めて稀である。チームが栄光を極める前に土台を固めた人々の存在がある。「実はあの人がいたから、栄光がある」という小さな声に耳を傾け、スポットを浴びることなく忘れかけられている人々の隠れたファインプレーを今、掘り起こしてみる。

 連載3回目は、2002年から2003年9月まで中日ドラゴンズの監督を務めた山田久志。

2001年。谷繁元信がFAで中日に入団。その左で笑顔を見せる山田久志。

 2004年から8年間、ドラゴンズを率いた落合博満の監督としての成績は、リーグ優勝4回、2位3回、3位1回、そして日本一が1回。すべてがAクラスで名将の名をほしいままにしている。しかし、この黄金時代に至る礎を作った前任者がいる。

 前任者は、谷繁元信を横浜ベイスターズからFAで獲得した。見落とされがちだが、この大仕事は歴史を作った。

 さらに当時、内野手だった福留孝介を外野にコンバート、それまで外野との併用も多かった荒木雅博と井端弘和を内野に固定して、通称”アライバ”の二遊間を構築する。

 そして言わずと知れた岩瀬仁紀を筆頭とする投手陣の育成。ブルペンを整備して投手王国の礎を築き、以降10年以上、安泰となった中日のセンターラインを固めた人物である。

 前任者、現役時代284勝を上げた山田久志は阪急ブレーブスの大エースで、中日とは縁もゆかりもなかった。それを星野仙一監督が第二次政権時代(1987-1991年)に三顧の礼をもって投手コーチとして迎え入れた。